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整理の成果:瑞龍遺跡


平成24・25・26年に発掘調査を行った縄文時代から江戸時代までの遺構について整理作業を行いました。
2年間かけて,150棟以上の竪穴建物跡や掘立柱建物跡,古墳など様々な遺構の整理作業を行ってきました。整理の結果,当遺跡は,縄文時代から江戸時代にかけて断続的に集落や墓が営まれてきた複合遺跡ということがわかりました。出土遺物のなかで特徴的なものとしては,鉄製品の製作にかかわる4世紀中葉の羽口や砥石,9世紀後葉の「」とヘラで記された高台付坏などがあります。羽口は断面形がかまぼこ型をしており,北陸地方との関係があるものと考えられ,当時の交易・交通の様相がうかがえます。ヘラ書きの高台付坏は,国字の出土例としては稀な例で,地方にも有識者が存在したことを物語る貴重な資料です。当遺跡は,特に6世紀中葉から11世紀にかけては,断続的に集落が営まれており,中央政権や地方豪族の関係性を見るうえで重要な資料となります。政治・政策などの社会的背景のもとに,集落の衰退や形態が変化する状況をうかがうことのできる貴重な資料となりました。
 
調査区遠景(南から) 4世紀中葉の羽口と砥石
 

整理の成果:東田中遺跡


平成25・26年に発掘調査した縄文時代の斜面貝層(貝塚)1か所,土坑4基,遺物包含層3か所,江戸時代以降の溝跡1条について整理作業を行いました。
斜面貝層は,中期終わり頃(約4,500〜4,000年前)に形成されたもので,マガキ,ウミニナ,ハマグリなどの主に海に生息する貝類が出土しています。貝殻の大きさを計測したところ,多くは小形のものであることがわかりました。また,獣骨を同定した結果,マイワシのようなニシン亜科,ハゼ,ウナギなどの骨が認められたことから,内湾や汽水域などで漁労活動が行われていたと考えられます。このほか,キジ,カモ,イノシシ,ニホンジカなどの獣骨も確認できました。出土した縄文土器の中には,東北地方南部や関東地方西部の特徴を持ったものもみられることから,他地域との交流をうかがい知ることができました。これらの成果は,霞ケ浦沿岸における当時の生業や環境などを復元する上で良好な資料になります。
 
貝殻の計測作業 第2号貝層出土土器
 

整理の成果:島名中代遺跡


平成25〜27年度に発掘調査を実施したつくば市の島名中代遺跡の整理作業は終盤を迎えています。
これまでの整理作業の結果,平安時代の竪穴建物跡では,食べ物を盛るための坏や煮炊きするための甕(かめ)などが多く出土しています。当時の人々のくらしぶりや土器を有効に利用する工夫が垣間見られます。また,本遺跡の中心となる時期は,奈良・平安時代であることがわかりました。集落の変遷は,律令体制の進展とその後の停滞の時期とかかわっています。本集落は,島名熊の山遺跡の集落と深くかかわっており,周辺集落のひとつと考えられます。
 
平安時代の竪穴建物跡から出土した坏・甕・小形甕 甕が補強材として使われた竈
 

整理の成果:島名熊の山遺跡


つくば市の島名熊の山遺跡の報告は,当報告書が最終報告書となります。
これまでに,270,000㎡を超える面積を調査しており,中心の時期は,古墳時代後期から平安時代前半(約1,400〜1,000年前)にかけてです。確認された遺構は,竪穴建物跡約2,600棟,掘立柱建物跡約450棟,堀・溝約400条,井戸約230基などです。
この遺構数は古代の河内郡(こうちぐん)内で最大です。搬入品と考えられる古墳時代後期の長頸瓶(ちょうけいへい)・𤭯(はそう)・提瓶(ていへい)などの須恵器や地方の役人が使用したと考えられる奈良・平安時代の円面硯(えんめんけん),帯金具(おびかなぐ)などが出土していることからも,当遺跡は河内郡嶋名郷(しまなごう)の中心地域と考えられます。
また,掘立柱建物が並んで建てられている地区は役所の機能をもった施設と考えられ,数多い竪穴建物と合わせて,継続型大集落(けいぞくがただいしゅうらく)と呼ぶにふさわしい遺跡と考えられます。
 
竪穴建物跡から出土した硯 硯が出土した奈良時代の竪穴建物跡
 

今月の逸品:大堀東(おおぼりひがし)遺跡出土の鉄製品・土師器・須恵器


大堀東遺跡は,下妻市の南東部の小貝川沿岸に位置しています。主な遺構は平安時代の竪穴建物跡や土坑で,現在整理作業を進めているところです。
今回紹介するのは,竪穴建物跡から出土した鉄鏃(てつぞく)と,土坑から出土した土師器の小皿と須恵器の壺です。鉄鏃は,雁股鏃(かりまたぞく)と呼ばれるもので,先が二股に分かれた形状をしているのが特徴です。狩猟や流鏑馬に使われたと考えられるもので,武士との関わりを考える上でも注目される遺物です。
土師器の小皿と須恵器の壺は,同じ土坑からセットで出土したものです。壺の頸部を意図的に打ち欠いていることから,土師器の小皿を上にかぶせて蓋として利用していたものと考えられます。中から骨は見つかりませんでしたが,形態から遺骨を納めるための骨臓器として使用されていたものと推測できます。須恵器の壺の体部には外側から穴が開けられた跡があり,儀礼的な意味があったものと思われます。平安時代の葬送儀礼を考える上で貴重な資料と言えます。
 
雁股形の鉄鏃 須恵器の壺と土師器の小皿
 

今月の逸品:金田西遺跡(こんだにしいせき)出土の温石・コップ形土器


金田西遺跡は,つくば市の北東部,桜川右岸の標高24〜25mの台地上に立地する奈良時代の河内郡の役所跡が存在する遺跡です。平成27〜28年度に金田官衙遺跡の西部が調査され,奈良時代から平安時代の集落跡が確認されました。
今回紹介するのは,竪穴建物跡から出土した温石(おんじゃく)と須恵器で作られたコップ形土器です。温石は蛇紋岩を宝珠型に加工し,先端部に小さい穴を開けています。温めた石を布で包んで懐炉のように使用したものと考えられています。病気や怪我の治療に用いられたのではないでしょうか。コップ形土器は計量カップに使用されたものと考えられています。奈良時代にも同じような計量カップがありました。古代の1合は80mlであったことがわかっています。この土器の容量を量ってみると8合(680ml)ほどあります。米や麦などの穀物,お酒や油などの液体などを計ったのではないでしょうか。これらの遺物は,当時の医療や納税の計量に使われたと考えられる貴重な資料といえます。
 
温石(おんじゃく) コップ形土器
 

今月の逸品:東田中(ひがしたなか)遺跡出土の貝製品


東田中遺跡は,石岡市の南東部に位置する縄文時代から江戸時代以降の複合遺跡です。縄文時代中期(約4,500年前)の斜面貝層(貝塚)からは,縄文土器,鏃や打製石斧などの石器,土器片錘や耳飾りなどの土製品,ヤスなどの骨角器,貝刃などの貝製品,貝類,獣骨などが出土しています。
今回紹介する逸品は,貝層の特徴的な遺物である貝製品です。一つ目は,タカラガイの加工品です。現在も主に熱帯や亜熱帯に生息する貝で,きれいなまだら模様の殻は海辺の土産物として売られています。縄文人は模様のある背面を使用せず,刻み目のある殻の口を割って加工しています。タカラガイが「子安貝」と呼ばれていることや副葬事例から,加工品は安産や子どもの成長を祈るお守りなどと考えられています。二つ目は貝輪です。イタボガキ製は未成品と丁寧に磨かれた完成品で,それぞれ欠けてしまっています。アカニシ製は,殻高約11㎝と大形です。貝輪を装着した人骨出土事例などから,腕輪と考えられています。縄文人が南海産の珍しい貝や腕輪に適した素材をどのように入手したのか,大変興味深いです。
 
第2号貝層から出土したタカラガイの加工品 出土した貝輪(左上下:イタボガキ,右:アカニシ)
 

今月の逸品:島名中代(しまななかだい)遺跡出土の土師器・須恵器


島名中代遺跡は,つくば市の南西部に位置し,谷田川右岸の標高22〜24mの台地上に立地しています。縄文時代から江戸時代にかけての複合遺跡で,平成25〜27年度に15,734㎡について発掘調査を行いました。調査の結果,古墳時代に小規模な集落が形成され,平安時代になると,集落が広がっていったことが確認できました。また,古代「河内(こうち)郡」の「嶋名(しまな)郷」の中心地域に比定されている島名熊の山遺跡と隣接しており,両遺跡は,竪穴建物跡の形状や出土遺物が類似していることから,関連性が想定できます。
今回紹介するのは,9世紀後葉の竪穴建物跡から出土した土師器の坏1点と須恵器の坏4点です。須恵器の坏の一つには「万呂カ入」の墨書がみられます。竪穴建物跡の東コーナー部付近の炭化物を多く含む層から5枚重ねて据えられたような状態で出土していることから,竪穴建物を埋め戻す際に,何らかの意図があり,遺棄されたものと推測できます。
 
重なって出土した5枚の坏 須恵器坏の内面に書かれた墨書
 

今月の逸品:九重東岡廃寺(ここのえひがしおかはいじ)出土の須恵器・瓦


九重東岡廃寺は,つくば市の北東部花室川左岸の標高約24mの台地上に立地する奈良時代の河内郡のお寺跡です。平成27年度には,遺跡の北側を調査し,奈良時代から平安時代の集落跡が確認されました。
今回紹介するのは,竪穴建物跡から出土した九重東岡廃寺に関わる仏鉢(ぶっぱち)と瓦です。仏鉢は僧が托鉢(たくはつ)で食物などを受けるのに用いる鉄製の鉢を模した土器です。軒平瓦(のきひらがわら)は,九重東岡廃寺に使用された瓦と考えられます。この軒平瓦は竪穴建物跡から出土しています。その他出土した瓦の中には,竈の両袖の補強材に使用されたり,支脚に転用されたりしたものもありました。これらの瓦は,九重東岡廃寺の衰退後に再利用されたものと考えられ,本跡の衰退時期をうかがい知る貴重な資料といえます。
 
仏鉢 軒平瓦(四重孤文軒平瓦)
 

今月の逸品:島名熊の山遺跡(しまなくまのやまいせき)出土の古墳時代の須恵器


島名熊の山遺跡は,つくば市の南西部に位置し,谷田川右岸の標高13〜24mの台地上に立地する縄文時代から江戸時代にかけての複合遺跡です。古墳時代後期から平安時代前期にかけての集落跡が遺跡の中心で,これまでに約360,000㎡が調査されています。約3,000棟の竪穴建物跡,約600棟の掘立柱建物跡などが確認されていることから,古代河内(かわち)郡の「嶋名郷(しまなごう)」の中心地域に比定されています。
今回紹介する土器は7世紀前葉の竪穴建物跡から出土した提瓶(ていへい),𤭯(はそう),長頸瓶(ちょうけいへい)の須恵器3点で,祭祀などに使用されたものです。現在のところ,河内郡内に当時の窯跡は見つかっていないので,周辺の地域や遠方から交易によってもたらされたと考えられます。𤭯は胎土(たいど)が緻密で焼きしまっていることから,静岡県湖西産の可能性があります。提瓶と長頸瓶は胎土などから常陸を含めた北関東産と考えられます。
 
提瓶 長頸壺(左)と𤭯(右)
 

今月の逸品:大堀東(おおぼりひがし)遺跡出土の緑釉陶器・灰釉陶器


大堀東遺跡は,下妻市の南東部に位置する平安時代を中心とする集落跡です。下妻市の南部には,鬼怒川・小貝川の旧河道が存在し,その自然堤防上に多くの遺跡が確認されています。大堀東遺跡もその一つで,平成16・17年度の調査では,10世紀を中心とする集落であることが分かりました。今年度は平成24〜26・28年度に調査した範囲を整理しています。今回の整理でも,今のところ10世紀を中心とした集落であると考えています。当遺跡の逸品としては,緑釉陶器や灰釉陶器が挙げられます。緑釉陶器や灰釉陶器は,当時,東海地方の優品として流通したものです。持ち主の地位や財力を周囲の人に示すものと考えられ,今回ご紹介する遺物も,そうした役割を果たしていたのでしょう。この地域に有力者がいたことを伺わせる遺物です。
 
緑釉陶器の皿 灰釉陶器の高台付椀
 

今月の逸品:瑞龍(ずいりゅう)遺跡出土の縄文土器


瑞龍遺跡は,常陸太田市の南部,里川右岸の標高42mの台地上に立地する縄文時代から江戸時代にかけての複合遺跡です。主体は古墳時代から平安時代にかけての集落跡であることが分かりました。
今回紹介するのは,縄文時代の土坑から出土した縄文土器です。当遺跡の縄文時代の特徴としては,南関東地方や東北地域の特徴を持った土器が出土していることです。土坑の形は,中期のフラスコ状土坑や円筒状土坑と呼ばれるものです。第656号土坑から出土した土器は,埋め土と共に投棄されたものと考えられます。また,埋甕も確認されており,埋葬などに関わるものとされています。第4号埋甕は,口径46.0㎝で,底部が破損していますが,残存している高さは56.6㎝あります。当遺跡の時期は,古墳時代・平安時代の遺構が多いですが,縄文時代中期から集落が営まれていたこと,さらには,当遺跡の出土土器は,縄文時代から南関東地方と東北地方の交流を伺うことのできる貴重な資料といえます。
 
第656土坑出土土器 第4号埋甕
 

 
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