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那珂事務所[ご案内マップ]

〒319-2102 那珂市瓜連1463-1
47 608 280*33
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。
 

下大賀遺跡(しもおおがいせき 08-343-007) [ご案内マップ]
47 608 613 *86

所在地 茨城県那珂市下大賀845番地ほか
立地 那珂市の北部,久慈川とその支流である玉川右岸の標高40〜42mの台地上
調査原因 一般国道118号道路改築事業
委託者 茨城県常陸大宮土木事務所
調査期間 2016年10月1日〜2017年3月31日
調査面積 4,597㎡
種類 集落跡
主な時代 旧石器時代,縄文時代,弥生時代,古墳時代,奈良時代,平安時代,室町時代,江戸時代
主な遺構 竪穴建物跡56棟,掘立柱建物跡14棟,土坑426基,溝跡7条,柵列跡2条,炉跡2基,ピット群5か所,石器集中地点1か所(昨年度から継続)
主な遺物 旧石器(剥片),縄文土器(深鉢),弥生土器(壺・高坏),土師器(壺・甕・甑・坏・鉢・高坏・坩・__・皿・小皿・椀・高台付皿・高台付椀),須恵器(坏・蓋・高盤・甕),灰釉陶器(壺・皿),緑釉陶器(椀),鉄製品(刀子・鏃・釘・_具・銭貨),土製品(管状土錘・紡錘車),石製品(砥石,紡錘車,有孔円板),石器(有舌尖頭器・石鏃・石匙・石錐・磨石・台石,磨製石斧),陶器(甕),磁器(碗),製鉄関連遺物(鉄滓)
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の成果

当遺跡は,久慈川とその支流の低地を望む台地上を舞台に,旧石器時代から平安時代まで断続的に人々が生活していた跡であることがわかりました。各時代の遺構・遺物としては,まず,旧石器時代(2万年前頃)の槍先形尖頭器の製作跡を確認しました。縄文時代では,竪穴建物跡2棟から7,000年前頃の前期初め頃の花積下層式土器が,弥生時代では,竪穴建物跡3棟から後期の十王台式土器が出土し,台地縁辺部に小規模な集落が営まれていたことが分かりました。古墳時代では,竪穴建物跡10棟を確認し,出土した土師器から5世紀前半頃の中期と考えられます。建物跡からは煮炊きに使った甕のほか,高坏,坩,__などのマツリに用いられた土器がまとまって出土しています。奈良時代以降,平安時代にはもっとも集落域が広がり,台地の隅々まで人々が暮していたことが分かりました。竪穴建物跡のほか,14棟の掘立柱建物跡も確認できました。一番大きな建物跡は,第9号掘立柱建物跡で,梁行3間(約7m),桁行6間(約13m)の側柱建物跡です。これらの建物群は,過去の調査で平安時代の道跡や棹秤の錘である権が出土していることなどから,倉庫として建てられたものと推測されます。今回の調査によって,平安時代には,地域の中心的な集落として,倉庫と推測される掘立柱建物も建ち並んでいたことが判明しました。これまでの5次にわたる調査によって,古代の常陸国久慈郡倭文郷の中心的な集落の様相が次第に明らかになってきました。
 
台地縁辺部に建ち並ぶ掘立柱建物跡 今回の調査で最大規模の掘立柱建物跡
   
同一地点で建て替えられた掘立柱建物跡 重なり合う古墳時代から平安時代の建物跡
 

調査の状況

縄文時代と弥生時代の竪穴建物跡を確認しました。縄文時代の竪穴建物跡は,土器の文様や粘土に繊維を混ぜて作られるという特徴から,縄文時代前期と考えられます。また,弥生時代の竪穴建物跡から,くし歯状工具による縦区画文や波状文と付加条縄文が施文された十王台式土器が出土したことから,弥生時代後期と考えられます。いずれの竪穴建物跡も調査区の中央部付近に位置し,調査区の南側では発見されていないことから,遺跡の北側を流れる玉川をのぞむ台地縁辺部に集落が営まれた様子がうかがえます。調査も終盤にさしかかりました。今後は昨年度に確認された旧石器時代の石器集中地点などの調査を進めていく予定です。
 
楕円形をした縄文時代前期の竪穴建物跡 繊維を混ぜて作られた縄文土器片(花積下層式)
   
弥生土器が出土した竪穴建物跡 弥生時代後期の壺形土器片(十王台式)
 

調査の状況

調査も残り2か月間となり,竪穴建物跡や土坑などの遺構が最も重なり合う調査区中央部の調査に着手しました。その中で確認した古墳時代中期の第160号竪穴建物跡は,後世に掘られた土坑によって壊されていますが,比較的に建物の構造がよく残っていました。4か所の主柱穴に炉,壁隅に貯蔵穴が設けられています。また,新たに掘立柱建物跡1棟を確認しました。この第11号掘立柱建物跡は,古墳時代の竪穴建物跡が埋まった後に造られています。前回紹介した第9号掘立柱建物跡よりも規模は少し小さいのですが,桁行4間,梁行2間で,南北に長い側柱建物跡です。第9号掘立柱建物跡と同様な長方形の柱穴で,第11号掘立柱建物跡も同様に平安時代の掘立柱建物跡と考えられます。これらのことから平安時代の当遺跡には,竪穴建物だけでなく,規模の大きな掘立柱建物が整然と建ち並んでいた様子がうかがえます。
 
古墳時代中期の第160号竪穴建物跡 長方形の柱穴からなる第11号掘立柱建物跡
 

調査の状況

先月に引き続き,昨年度の調査区の南側で調査を進めています。第87号竪穴建物跡では,北壁際の床面付近からコンテナ5箱分の土師器の高坏や甕,坩などがまとまって出土しました。時期は古墳時代中期と考えられます。また,当遺跡ではこれまでに約130棟の竪穴建物跡が確認されていますが,掘立柱建物跡は6棟に留まっていました。今回,平安時代の掘立柱建物跡3棟を確認しました。最大規模の第9号掘立柱建物跡は桁行6間,梁行3間,他の2棟は桁行3間,梁行2間の側柱建物跡です。その中でも特に第8号掘立柱建物跡の柱穴は,人がすっぽりと入れるくらい大きいものでした。当遺跡で規模の大きい掘立柱建物跡群が確認されたことは,古代の集落跡の性格を考える上で,とても重要になります。
 
床面に広がるたくさんの土師器(第87号竪穴建物跡) 南北に細長い第9号掘立柱建物跡
 
立派な側柱建物の第8号掘立柱建物跡 際立つ大きさの第8号掘立柱建物跡の柱穴
 

調査の状況

現在,昨年度調査区の南で,竪穴建物跡や掘立柱建物跡,土坑などの調査を進めています。竪穴建物跡同士や竪穴建物跡と掘立柱建物跡など,たくさんの遺構が重なり合っています。第69号竪穴建物跡では,壁際の床面近くから,灰釉陶器の長頸瓶が出土しました。平安時代には,貴重なものであり,一般集落跡からはあまり出土しないものです。当遺跡の性格を考える上でも重要な遺物と言えます。JR水郡線脇の調査区では,溝跡6条と土坑52基の調査が終了しました。竪穴建物跡が確認できないことから,古代の集落跡の南限は,より北側であったと考えられます。
 
第69号竪穴建物跡から出土した灰釉陶器 JR水郡線脇での調査
 

調査の状況

平成28年度の下大賀遺跡の調査を開始しました。当遺跡の調査は,平成24年度から始まり,今回が5次調査となります。今年度の調査は,6か月間の予定です。現在は,古墳時代や平安時代の竪穴建物跡の調査をしています。10mを超える大きさの古墳時代中期の竪穴建物跡に,平安時代の竪穴建物跡が入れ子状に重なってつくられていました。この遺構からは,多くの遺物が出土しています。
また,今年度は以前の調査区に隣接したJR水郡線の線路際の調査も行っています。これまでの調査の成果と今後の新たな発見から,地域の歴史を明らかにしていきたいと思います。
 
古墳時代と平安時代の竪穴建物跡の重なり 竪穴建物跡の壁際から出土した古墳時代の土器群
 

 
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