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阿見吉原事務所

〒300-1155 稲敷郡阿見町大字柴崎2,291−1
 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
薬師入遺跡 平成18年4月〜12月 縄文時代,弥生時代,古墳時代,平安時代,中世,近世 竪穴住居跡,溝跡,土坑,地下式壙,道路跡,塚,ピット 縄文土器,弥生土器,土師器,須恵器,土師質土器,陶器,鉄製品,石製品,古銭
*主な時代をクリックすると年表がでます。
 

薬師入遺跡 (やくしいりいせき)


平成18年11月から12月までの調査状況

 
12月末をもって薬師入遺跡の調査が終了しました。調査の結果,縄文時代から近世までの複合遺跡であることが分かりました。今回の調査では,弥生時代から平安時代までの住居跡や中世の地下式壙,近世の塚などの遺構が多数確認されました。また,溝跡や道路跡も検出されています。中でも,弥生時代後期の住居跡は浅い谷を挟んで南北に15軒確認されたことから時期ごとの小集団の移動が想定されます。また,古墳時代前期の住居跡の床面からは粒状滓と転用羽口が出土し,4世紀代の鍛冶工房跡と考えられます。当遺跡は,南部の住居跡の方が時期が新しくなる傾向にあり,南側に位置するナギ山遺跡との関連が注目されます。
 
調査区北側から見た終了状況の様子です。
第78号住居の床面から粒状滓が
出土している様子です。
第8号地下式壙の完掘状況です。
第106号住居跡の遺物出土状況です。
 

薬師入遺跡 (やくしいりいせき)


平成18年9月から10月までの調査状況

 
9〜10月は調査区内の北側と南側に分かれて住居跡を中心に調査を進めてきました。
調査区北部の調査では,弥生時代後期の住居跡や古墳時代前期の住居跡が狭い範囲内で複数見つかっています。これらの住居には,柱の位置や貯蔵穴の位置などに違いがあることから,時期差があると考えられ,長い期間にわたりこの地に生活していたことがうかがえます。
調査区南部の調査では,主に古墳時代中期の住居が見つかっています。人が住まなくなった後に土器を投げ捨てている住居や火を放って移り住んだ跡がみられる住居など当時の人々の動きが少しずつ分かってきました。
 
第68号住居跡では,中央に向かって
土器が折り重なるようにして出土しています。
第66号住居跡からは住居の構築材と
考えられる炭化材がたくさん出土しています。
 

平成18年8月までの調査状況

 
調査区中央部にある竪穴住居跡を中心に調査を進めています。これまでに調査した竪穴住居跡は,食べ物を煮炊きする炉(ろ)を持つものがほとんどです。住居跡の特徴と出土した土器などから,古墳時代中頃(今から1600年くらい前)の住居跡と考えられます。また,建物の柱などと考えられる炭化材が出土する住居跡も多いことから,火事あるいは建物を使わなくなった後に燃やした可能性があります。
 
第45号住居跡の貯蔵穴からは,土師器の坏や
高坏,甕が出土しました。
第46号住居跡では,土器とともに建物の柱と
考えられる炭化材がたくさん見つかりました。
第50号住居跡の遺物出土のようすです。
写真の上から右上にかけて(北から北東の
方角にあたります),土器が集中しています。
阿見町の小学生が体験学習に来ました。
蒸し暑い日でしたが,みんな一生懸命に
竪穴住居跡を掘り込んでいました。

平成18年6月までの調査状況

 
6月上旬に表面の土を取り除く作業が終わり,どのような遺構があるのか確認作業をしてきました。その結果,住居跡が35軒ほど,道路跡2条,溝跡が13条ほど,「土坑」や「ピット」と呼ばれる大小の穴が550基ほど見つかっています。確認作業が進むにつれて住居跡や土坑,ピットなどの数は増えてくると考えられます。
確認作業と同時に南西側の調査を進めており,現在は住居跡2軒,道路跡2条,土坑17基の調査が終わりました。また,塚の調査も進んでいます。
 
調査区南西側の調査風景です。大昔の住居跡と
最新の技術で造られている現代の建築物が
同居する不思議な風景です。
 調査区南西側の第39号住居跡から出土している
土器の様子です。2個体以上の坏(つき)や
甕(かめ)が重なるようにして出土しています。
調査区南西側の調査が終了した様子です。
調査によって住居跡2軒,道路跡2条,
土坑17基が確認されました。
 3基の塚を調査している様子です。
塚を4等分するように掘り下げて,
土がどのようにして盛られたのかを調べています。

平成18年4月から5月までの調査状況

 
薬師入遺跡は近くに牛久大仏の見える阿見町の南部にあります。北部は平成14・15年度に調査し,今年度は南部の調査をします。
現在は,3基ある塚の清掃が終わり,これから調査に入る予定です。また,表面の土を取り除き遺構確認の作業が始まったところで,すでに8軒の住居跡が見つかっています。
 
遺構確認作業をしています。
遺跡の西方に牛久大仏が見えます。
3基の塚が南北の軸に沿って造られています。
塚の上には,「青面金剛(せいめんこんごう)」
と彫られた石碑が建っていました。
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