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埋蔵文化財整理センター(見和)

〒310-0911 水戸市見和1-372
TEL. 029-224-5543 FAX.029-228-3183

島名熊の山遺跡(しまなくまのやまいせき)


整理の成果

 

つくば市の島名地区を流れる東谷田川と西谷田川に挟まれた台地上に位置しています。島名熊の山遺跡は,平成7年から続いている発掘調査で,古墳時代から平安時代にかけての,県内でも最大級の集落遺跡であることがわかっています。住居跡は平安時代のものが2軒で,その内の第3022号住居跡は大形住居跡です。竈の両脇の壁に補強や装飾のためのものと考えられる白い粘土が貼り付けられており,このような特徴をもつ住居跡は,当遺跡でも非常に珍しく,9世紀後葉の中心的な住居跡であることが分かりました。また,中世の一辺55mほどの方形に区画する堀跡は,隣接する妙徳寺や島名前野東遺跡東館跡とともに,当地に地域勢力の拠点があったことを物語っています。

 
上空から見た調査区
「大土」と書かれた墨書土器
 

旧宝幢院跡(きゅうほうどういんあと) 


整理の成果

 

旧宝幢院跡は,城里町那珂西(旧常北町)の西田川沿いの台地の上にあります。宝幢院は,室町時代の1396年に那珂西の地に建てられ,その後,江戸時代の1696年に徳川光圀によって現在地に建て替えられたといわれています。今回の調査区域の中では宝幢院跡は確認できませんでしたが,古墳時代と奈良・平安時代の集落であったことが分かりました。また,中世につくられた道路跡は,江戸時代に石や土器などを敷いて作り替えられています。道路跡の脇には江戸時代と考えられる塚があり,当地は江戸時代も引き続き信仰の対象であったことが分かりました。

 
調査された塚
低地と台地を結ぶ道路跡
 

石川西遺跡(いしかわにしいせき)


整理の成果

 

小美玉市(旧小川町)の東部に位置し,巴川右岸の標高20〜28mの台地上に立地しています。 当遺跡は,縄文時代中期(約4,500年前)の集落跡で,中央に炉をもつ竪穴住居跡や土坑が確認されました。炉の形態は,周囲を石で囲った「石囲炉」や,土器を埋めた「土器埋設炉」などがあります。また,土坑は,断面の形が「フラスコ状」であるものが多く,貯蔵用の穴と考えられています。また,調査区中央部の谷では遺物包含層が確認され,多量の縄文土器片が出土しています。 住居跡や土坑からは,鍋として利用した縄文土器のほかに,狩りの矢に用いた石鏃,ドングリなどを製粉した石皿や磨石,漁の網に付けた浮子や土器片錘などが出土しており,縄文時代の人々の暮らしがうかがえます。 今回の調査区は,台地の縁辺部であり,遺構の分布から,中央の広場を囲んでドーナツ状に住居を配置する環状集落の北端部にあたると考えられます。

 
石囲炉を持つ竪穴住居跡
出土した縄文土器
 

大谷貝塚(おおやかいづか)


整理の成果

 

美浦村のほぼ中央部を流れる高橋川左岸の台地上に立地しています。台地上には縄文時代から平安時代の集落,方墳などが形成され,斜面部には,縄文時代前期(約5,500年前)と中期(約4,500年前)の貝塚が形成されていました。台地上の集落は,縄文時代中期,弥生時代後期(約1,700年前),古墳時代中期(約1,500年前),平安時代(約1,000年前)の4時代に分かれ,この地が古くから生活の好適地であることが分かりました。 縄文時代中期の竪穴住居跡からは,当時使っていた縄文土器のほかに,狩猟具の石鏃,食料の調理具の石皿や磨石,網の錘の土器片錘など,当時の生活や文化を映し出す様々な道具が出土しています。貝塚を形成した人々は,貝塚に隣接した地に居住して,貝の採集や漁労を主体に,狩猟や採集によって生活していたことが明らかになりました。 また,一辺30mを超える方墳からは,葬られた遺骸や副葬品などは発見されませんでしたが,造られた時代は古墳時代後期(約1,300年前)と推測されます。

 
上空から見た大谷貝塚
縄文時代の竪穴住居跡
 

東前遺跡(ひがしまえいせき)


整理の成果

 

稲敷市(旧江戸崎町)を東西に流れる沼里川と花指川に挟まれた台地上に立地しています。当遺跡は,縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡です。  中心となるのは古墳時代で,古墳時代前期から後期(約1,700年前から約1,400年前)にかけての竪穴住居跡が確認されました。 古墳時代前期の竪穴住居跡の一軒は,上屋を支える柱を立て直し,調理をした炉を作り直し,壁を四方に大きく広げていることが分かりました。また,焼けた土や,柱などの木材が燃えて炭になったものが確認されたことから,火事にあったことも分かりました。この住居跡からは,土師器と呼ばれる土器や,球状で孔のある土玉がたくさん出土しています。

 
竪穴住居跡から出土した土器
竪穴住居跡から出土した土玉
 

薬師後遺跡(やくしうしろいせき)


整理の成果

 

稲敷市(旧江戸崎町)を東西に分けるように流れる小野川の東側台地上に立地しています。当遺跡は,旧石器時代から近世にかけての複合遺跡です。  中心となるのは古墳時代後期(約1,400年前)から平安時代中期(約1,000年前)かけての集落跡で,住居跡や掘立柱建物跡,遺物包含層など,たくさんの遺構が確認されています。特に,奈良時代の竪穴住居跡の中には,出入り口付近に張出部を伴い,7か所の柱穴を持つ大形の住居跡がありました。また,深さが 1.6mで,底面中央にくぼみを持つ大形の土坑が確認されました。この土坑は,平安時代の遺構で,氷を保存するための「氷室」である可能性があります。 さらに,土師器や須恵器,東海地方で生産された灰釉陶器など,たくさんの遺物が発見されています。当遺跡は,「真」という文字が刻まれている紡錘車,須恵器の円面硯,鉄製の刀子が出土していることから,布生産をしていた集落で,文字を使用する人物がおり,この地域の中心的な集落であったことが考えられます。

 
張り出し部を持った竪穴住居跡
「真」の文字が刻まれている紡錘車
 

堂ノ上遺跡(どうのうえいせき)


整理の成果

 

稲敷市(旧江戸崎町)の西部に位置し,小野川左岸の舌状台地の先端部に立地しています。当遺跡は,古墳時代中期末から後期初頭にかけての時期(約1500年前)の集落跡で,多くの竪穴住居跡が見つかりました。この時期は,現在のコンロにあたるに竈の導入が開始された時期で,住居跡の壁には竈が作られています。 遺物では,土師器や須恵器と呼ばれる多くの土器のほか,稲敷市で3例目となる子持ち勾玉,県内最大級の紡錘車,文様が施された紡錘車,臼玉・管玉・有孔円板・剣形模造品といった石製模造品が約300点出土しています。特に,工房跡からは石製品の素材である滑石とともに臼玉の完成品や未成品が出土していることから,石製品が当遺跡で作られていたことが判明しています。当遺跡は,150軒という住居跡の数や多様な出土遺物から,当地域の中心的な集落であったと考えられます。

 
上空から見た堂ノ上遺跡
子持ち勾玉の製品と未製品
 

「整理センター(見和)」の紹介と閲覧室開館のお知らせ

 

埋蔵文化財整理センター(見和)では,県内各地で発掘調査を行った際に出土した遺物や資料を整理して,報告書を作成しています。
本年度は,城里町の旧宝幢院跡,小美玉市に開港予定の茨城空港の隣にあった石川西遺跡と石川遺跡,桜川市の北田遺跡,つくば市の島名熊の山遺跡16区,美浦村の大谷貝塚,稲敷市の堂ノ上遺跡,薬師後遺跡,東前遺跡の9つの遺跡を整理します。現在は,図面整理,土器の接合・復元,遺物実測などを行っています。
また,整理中の遺物を閲覧室で展示し,広く県民の皆さんに公開しています。展示内容は時期により異なりますが,現在は縄文時代,古墳時代,奈良・平安時代の資料が中心です。展示期間は来年の1月末日までの予定です。
事前に申し込んでいただければ,整理作業や展示室の見学,書籍類の閲覧ができますので,興味がある方はぜひご来館下さい。

開室時間  午前9時から午後5時まで
閉室日  土曜日・日曜日・祝祭日

 
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遺跡から出土した遺物や,全国各地の報告書が見られます
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