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つくば島名事務所

〒300-2655 つくば市島名1721

TEL・FAX 029-847-9550

 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
島名熊の山遺跡(13区) 平成22年1月〜3月 古墳時代,奈良時代,平安時代,中世 竪穴住居跡,溝跡,土坑,ピット群

土師器,須恵器,金属製品,古銭

島名熊の山遺跡(14区) 平成22年1月〜3月 古墳時代,奈良時代,平安時代,中世 竪穴住居跡,方形竪穴遺構,掘立柱建物跡,溝跡,井戸跡,土坑 土師器,須恵器,石器,石製品,鉄製品
島名熊の山遺跡(15区) 平成21年4月〜平成21年9月 中世,近世 土塁跡,溝跡,井戸跡,土坑,ピット群 土師質土器,陶磁器,石器,石製品,木製品,古銭
*主な時代をクリックすると年表がでます。
 

島名熊の山遺跡(しまなくまのやまいせき)


平成22年2月の調査状況

 

1月から遺跡北東部(島名駐在所周辺)の調査を進めています。駐在所西側の調査区では,竪穴住居跡17軒,掘立柱建物跡2棟,溝跡2条などを確認し,東側の調査区では,竪穴住居跡2軒,溝跡4条のほか,土坑44基,ピット群2か所を確認しました。東側の調査区のうち,竪穴住居跡1軒の床面には,焼土・炭化材が堆積していました。屋根の柱と考えられる炭化材もでてきたので,火事で焼けてしまった住居と考えられます。また,溝4条は出土遺物から奈良時代のもので,集落を区画するために掘られたと思われます。南北にのびる溝は,埋まった後に道として利用しており,硬くしまった面が確認できました。前回の調査をふまえ,今後の調査で,更に明らかにしていく予定です。

 

床面一帯に焼土が堆積していました

集落を区画するために掘られた溝跡


平成22年1月の調査状況

 

1月から遺跡の北西部,島名駐在所西側の調査を始め,17軒の竪穴住居跡のほか,掘立柱建物跡や溝跡,土坑などを確認しました。調査区で一番大きな竪穴住居跡は古墳時代のもので,一辺が8mほどの大きさです。床面には焼土や炭化材が堆積していました。火事にあった住居と考えられます。また,調査区の北部では,炉や竃をもたず,壁際に出入口施設と考えられるスロープをもつ方形の遺構を確認しました。これらは,遺構の形状から中世の方形竪穴遺構と考えられます。遺構の近くでは,墓坑や井戸跡が確認されており,今後の調査でこれらの遺構との関連を明らかにしていきます。

 

約20畳の広さの竪穴住居跡です。

壁際でスロープを確認しました。


平成21年8月の調査状況

 

7月に引き続き,遺跡南西部(15区)の調査を進めています。お寺に接している東側の調査はほぼ終了し,西側の調査に移りました。遺構確認の結果,西側では,溝跡3条,井戸跡13基,土坑64基,ピット群1か所を確認しました。そのうちの1条の溝跡は,幅8m,深さ2mほどの大きなものです。覆土の堆積状況からは,一度埋まったあとにもう一度掘り返していることが分かりました。溝跡の底部からは,土師質土器の小皿や土鍋などの他,漆器の椀などの木製品も出土しています。時期は,出土した土器から中世末から近世にかけてと考えられ,今後の調査で,溝跡の用途や性格を明らかにしく予定です。

 

溝跡から出土した遺物の実測作業

調査区域東側の2条の溝跡

 

平成21年7月の調査状況

 

7月から遺跡南西部(15区)の調査を始め,溝跡9条,土坑24基,土塁1条を確認しました。土塁は,隣接する妙徳寺の南西部で確認し,時期は,出土した土器から16世紀代のものと考えられます。溝跡の多くは東西方向に延び,これらの溝跡からは,土師質土器の小皿や石塔(五輪塔)が,投げ捨てられたような状態で出土しました。また,24基の土坑のうち,北部の1基は,地下式坑(出入口の竪穴に横穴の地下室が付く遺構)であることを確認しました。昨年度の調査区域北部でも,同様の地下式坑を4基確認しており,今回の調査で,分布範囲が東に広がることが明らかになりました。

 

溝跡から出土した小皿,五輪塔

発見された大きな地下式坑
(手前が出入口の竪穴,奥が横穴の地下部分)

 

平成21年5月から6月の調査状況

 

5月から,北部(13区)の調査を始め,古墳時代から平安時代にかけての竪穴住居跡19軒を確認しました。竪穴住居跡の多くには竈があり,出土している土器から,時期は古墳時代後期が主体と考えられます。これらの中には,家を作り直して大きくしていることが確認された住居跡もあります。また,炉があり,出土している土器から,古墳時代前期と考えられる竪穴住居跡からは,大量の炭化材が出土しており,当時の使用部材が確認できます。当遺跡では,これまでの調査で2,000軒以上の住居跡が確認されていますが,この住居跡は,集落がつくられ始めた頃のものと考えられます。

 

作り直しをしている住居跡
(青線が初めの住居跡の範囲)

出土した炭化材

 

平成21年4月の調査状況

 

島名熊の山遺跡の調査が始まりました。今年度は,4月から9月,1月から3月の9か月間で4・12・13・14・15区の調査を行う予定です。今月は,13区の東部と15区(妙徳寺脇)の調査を進めています。13区では古墳時代後期から平安時代にかけての竪穴住居跡4軒のほか,土坑3基が,15区では中世の土塁1基,土坑2基,溝跡7条が確認されています。 15区の調査では,妙徳寺を囲むように存在している土塁(一部分)は,地山を削って構築していたことが分かりました。土塁の内側と外側には溝が掘られており,その目的は土塁の構築土を得るため,排水のため,防御的な性格をもたせるためなどが考えられます。また,土塁の構築時期は中世の後半と考えられ,1297年に創建されたと伝えられる妙徳寺とは時期差が見られることも分かりました。

 

確認された土塁

溝跡の実測をするスタッフ

 
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