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整理センター国田分館

〒311-4205 水戸市下国井町1661-2
TEL 029-239-6000 FAX029-239-7977
 

島名熊の山遺跡 (しまなくまのやまいせき)


整理の成果

 
つくば市の南部に位置し,東谷田川右岸の標高15〜24mの低地から台地上に立地しています。今回調査した区域は島名熊の山遺跡の中でも北部にあたり,古墳時代前期(約1600年前)から平安時代(約1000年前)までの遺構と遺物が確認できました。
古墳時代前期の住居跡は14軒確認され,最初に集落が形成された場所と言えます。その後,一時集落の規模は小さくなりますが,古墳時代後期(約1500年前)になると再び人々が集まり,大規模な集落へと発展しました。この時代には大きな住居が建てられ,中でも第2930号住居跡は一辺の長さが12mもあり,県内でも有数の規模を持つ住居であることが分かりました。このことから,集落の中に力を持った人たちが現れたことがうかがえます。
 

北側からみた島名熊の山遺跡と
つくばエクスプレス

最も大きな規模の第2930号住居跡

 

十王堂遺跡 (じゅうおうどういせき)


整理の成果

 
日立市の中央部に位置し,多賀山地東麓の標高60mの海岸台地上に立地しています。調査の結果,縄文時代中期から晩期(約5,000〜3,000年前)の竪穴住居跡や掘立柱建物跡,貯蔵穴や柱穴,土器などを捨てた廃棄場(遺物包含層)などのほか,弥生時代中期(約2,200年前)の土坑墓,平安時代(約1,000年前)の竪穴住居跡や溝跡,中世後半(約400年前)の井戸跡などが確認できました。
縄文時代の集落は,時期が下るにつれて山側へ移動していることが分かりました。また,縄文時代の土器の特徴や,弥生時代の墓に管玉を砕いて副葬する風習には東北地方の影響が見られることから,当時,人や物の交流が盛んであったことがうかがえます。
 

出土した縄文土器

弥生時代の土坑墓から出土した壺と管玉

 

田崎遺跡 (たざきいせき)


整理の成果

 
石岡市の南東部に位置し,恋瀬川左岸の標高10〜20mの河岸段丘上に立地しています。縄文時代早期(約9,000〜6,000年前)から近世(約150年前)までの遺構と遺物が確認でき,長期間にわたって人々が暮らしていたことが明らかになりました。古墳時代前期(約1,700年前)から本格的に集落が形成され始め,その後一時途絶えますが,古墳時代後期(約1,400年前)に再び営まれるようになります。奈良時代の初め頃(約1,300年前)には,律令制の影響を受けながら規模を拡大していき,平安時代の初め頃(約1,100年前)まで継続していたことが分かりました。
  調査区の中央部は,谷地形を利用した廃棄場(遺物包含層)となっており,捨てられた多くの土器の中から手捏土器や東海地方から搬入された須恵器の高坏とともに炭化米がまとまって出土しました(遺物集中地点)。当地で何らかのマツリが行われたものと考えられます。
 

田崎遺跡全景(遠方に霞ヶ浦を望む)

遺物集中地点から出土した
手捏土器や須恵器高坏,炭化米

 

大谷貝塚 (おおやかいづか)


整理の成果

 
美浦村のほぼ中央部に位置し,高橋川左岸の標高20〜25mの台地上に立地しています。平成 18・19年度の調査で,斜面部には縄文時代前期(約5,500年前)と中期(約4,500年前)の貝塚や,台地上には縄文時代から平安時代の集落跡,古墳などが確認されました。
  前回の調査で確認された縄文時代から平安時代の集落は,さらに東側に広がっていることが分かりました。集落の始まりの時期は,貝塚の時期に相当する縄文時代前期・中期と考えられていましたが,炉穴から縄文時代早期(約8,000年前)の土器片が出土したことから,台地上では縄文時代早期にも生活が営まれていたことが明らかになりました。
 

上空から見た大谷貝塚

炉穴から出土した縄文時代早期の土器片


北田遺跡 (きただいせき)


整理の成果

 
桜川市の南部に位置し,桜川左岸の筑波山地のふもとに立地しています。平成13年度の第1次調査に続き,平成19年度に第2次調査を行いました。今回の調査では,縄文時代の中期から後期(約4,000年前),古墳時代後期(約1,400年前)の集落跡が,それぞれ確認できました。縄文時代では,石組炉を持つ竪穴住居跡5軒が見つかりました。石組炉は,県北部や隣接する栃木県南部で多く確認されていますが,県南部ではあまり見つかっていません。石組炉は,真壁の特産として知られる
花崗岩を使って作られています。当地が石材の産地であることは,石組炉が多く作られた理由の一つと考えられます。
 

縄文時代の石組炉

古墳時代の住居跡から出土した土器


水戸城跡 (みとじょうあと)


整理の成果

 
水戸市の中央部に位置し,那珂川右岸の台地上に立地しています。二の丸北西部の堀跡を調査し,堀跡のコーナー部の一部とその斜面に施された盛土遺構を確認しました。堀跡は,コーナー部の形状や深さ,埋没過程が明らかになり,堀底の泥の分析から,空堀であったことが判明しています。盛土遺構は,黒い土や粘土,砂や石を交互に積み重ねて構築されており,斜面の崩落を防ぐための土木工事の跡と考えられます。盛土の構築時期は,出土した土器から寛永2年(1625)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が行った改修工事に伴うものと考えられます。今回,城の構造や築城方法の一端を明らかにできたことにより,水戸城の旧景観を復元する上での貴重な資料を得ることができました。
 

北西上空から見た水戸城跡(左は那珂川)

堀跡の斜面に施された盛土

 

米根井向遺跡 (こめねいむかいいせき)


整理の成果

 
阿見町の東部に位置し,清明川右岸の台地上に立地しています。調査の結果,縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡であることが確認できました。特に,古墳時代中期後半(約1,500年前)の住居跡が8軒見つかり,住居跡からは,「滑石」と呼ばれる軟質の石が多量に発見されました。これらの中には,臼玉の完成品や,作りかけのもの,失敗したものなども含まれており,製作の工程を追うことができました。しかし,出土した状況や,製作に用いたと思われる工具などが見つからなかったことから,これらの住居跡で,臼玉を作っていたとはいえませんでした。今回の調査は集落の東側の一部を調査したにすぎませんので,調査を行っていない集落内のどこかに,工房が存在するものと思われます。
 

北部上空から見た米根井向遺跡

出土した臼玉と滑石片,失敗品


上野古屋敷遺跡 (うえのふるやしきいせき)


整理の成果

 
つくば市の中央部に位置し,つくば市と土浦市の境を流れる桜川右岸の台地上に立地しています。平成12・13年度に続いて平成18〜20年度にも発掘調査を行いました。遺跡の北東部は,縄文時代から平安時代に集落が営まれていた区域であることが確認できました。中央部では,溝で区画された中世の掘立柱建物跡が確認されており,居宅や倉庫が建っていたものと思われます。今回の調査で,南西部は,墓域や耕作地として利用されていた様子が明らかになりました。このことから,戦国時代に佐竹氏・多賀谷氏・真壁氏や越後の上杉謙信,小田原の北条氏らと抗争を繰り返した小田氏との関係が深い武士たちの屋敷域であることが分かりました。
 

南東方向から見た遺跡(奥に筑波山を望む)

火をともしたため,口の部分に
黒い煤が付いた小皿

 

国田分館展示室開室のお知らせ 2009.5.21


 
整理センター国田分館では,整理作業を行っている遺跡から出土した遺物の展示を開始しました。展示期間は1月末日までの予定です。展示内容は時期により異なりますが,現在は日立市の十王堂遺跡から出土した縄文時代・弥生時代の土器や石製品,桜川市の北田遺跡から出土した古墳時代の土器,かすみがうら市の姥久保遺跡から出土した奈良時代の土器などを展示しています。また,遺跡から出土した土器に実際に触れることもでき,昨年度は来館した児童・生徒に大変好評でした。 事前にお申し込みをいただければ,展示室や整理作業の様子も見学できますので,たくさんの方のご来館をお待ちしています。      

開室日   毎週月曜日〜金曜日(土日曜日・祝祭日は閉室)      
開室時間  午前9時から午後5時まで      
閉 室 日  土日曜日・祝祭日
 

ようこそ整理センター国田分館へ

土器の接合に挑戦する小学生

 
なお,今年度は見和の整理センターでは整理作業をしていません。報告書などの図書の閲覧のみとなります。図書の閲覧を希望される方は,当財団本部企画管理課 担当仲村・稲田(TEL029-225-6587)までお問い合わせください。
 

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