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埋蔵文化財整理センター[ご案内マップ]

〒311-4325 茨城県東茨城郡城里町北方1481(茨城県埋蔵文化財センター いせきぴあ茨城 内)
TEL:029-289-2002
FAX:029-289-2008
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188 628 006*40
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。
 
 

今月の逸品(2022.2):上境旭台貝塚(かみざかいあさひだいかいづか)出土の漆器


上境旭台貝塚の低地部から出土した遺物を紹介します。
低地部の谷底部には、腐植土層が堆積しており、地下水の影響で腐らずに残っていた漆器や木製品が出土しました。時期は、出土土器から縄文時代後期前葉(堀之内式期)と考えられます。漆器は、精巧な装飾が施された大型の鉢をはじめ、把手付片口鉢、脚付鉢、丸底鉢、杓子、飾り弓など、器形のバリエーションが豊富です。また、把手付片口鉢の未成品も出土しており、異なる刃幅の石斧で粗調整や仕上げ整形を行った製作工程が分かりました。漆を保管した土器や顔料のベンガラをすりつぶした磨石も出土していることから、これらの漆器は当集落で作られていたと考えられます。
 
低地部から出土した土器と漆器 製作工程が分かる把手付片口鉢と未成品
 

今月の逸品(2022.2):島名本田遺跡出土の香炉


今回紹介する逸品は、つくば市の島名本田遺跡から出土した室町時代(約500年前)の香炉です。香炉とは、焼香に際して香を焚いたり、あるいは線香を立てる容器で、ろうそくを燈す燭台、花を供える花瓶とともに仏具の三具足のひとつです。出土した香炉は、土師質土器で、外面にはスタンプによる木葉文と格子文が巡らされ、底部には三足が付けられています。本香炉は、当時の土器の製作や供養の一端を知る貴重な資料です。
 
島名本田遺跡出土の香炉
 

今月の逸品(2022.1):下大賀遺跡から出土した古墳時代の羽口に転用された土器


那珂市下大賀遺跡の竪穴建物跡から出土した古墳時代中期(約1600年)の羽口に転用された土器を紹介します。羽口は鉄を溶かす際に炉に差し込まれる送風管で、今回紹介するものは土師器の高杯の脚部(右写真の下半部)を転用したものです。先端には鉄の成分が付着し、熱を受けて赤色や白色・青灰色に変色しています。集落内では小鍛冶(鉄器の補修や修繕)が行われていたと考えられます。
 
土師器を転用した羽口 竪穴建物跡から出土した高杯
 

今月の逸品(2021.12):塔ノ内南(とうのうちみなみ)遺跡出土の紡錘車


塔ノ内南遺跡から出土した古墳時代後期(約1,300年前)の紡錘車を紹介します。
紡錘車は、植物などの繊維に撚りをかけて糸をつくる道具の一つです。中央に空いている穴に軸棒を差し込んで用いられます。石製のものと土製のものがあり、当遺跡から出土した石製紡錘車には、上下・側面に線刻が施されているものもあります。これらの道具から、この遺跡では紡績生産が行われていたものと考えられます。
 
古墳時代の紡錘車(手前6点石製・奥2点土製) 線刻が施された蛇紋岩製の紡錘車
 

今月の逸品(2021.12):金田西(こんだにし)遺跡出土の墨書土器


金田西遺跡ではたくさんの墨書土器が出土していますが、平安時代の竪穴建物跡から出土した「厨(くりや)」と墨書された須恵器の盤(ばん)が特出されます。
墨書土器とは焼き物に筆、墨を用いて文字·記号等を書いたものの総称です。墨書土器には意味があり、今回出土した「厨」と書かれた土器は、施設の所属を表したものです。この文字は、食器の回収を目的に役所名を墨書したと考える説があります。
 
「厨(くりや)」と墨書された土器
 

今月の逸品(2021.11):金田西(こんだにし)遺跡出土の黒漆塗巡方


平安時代の竪穴建物跡から出土した黒漆塗巡方(くろうるしぬりじゅんぽう)を紹介します。
律令官人は衣服の色、頭巾など身に付ける様々なものまで、位階に従って規定されていました。腰帯(ようたい)もその一つです。帯の金具を銙(か)といい、銙で飾られた革製の帯を銙帯(かたい)と称しています。
今回出土したのは銅製の銙で、この形状のものを巡方(じゅんぽう)と呼びます。黒漆が塗られている烏油腰帯(くろつくりようたい)の帯金具で、官位が六位以下の官人が装着するものです。
 
黒漆塗巡方(表と裏)
 

今月の逸品(2021.11):中居指(なかいざし)遺跡出土の土偶、石剣、独鈷石


中居指遺跡から出土した縄文時代晩期の土偶、石剣、独鈷石を紹介します。
第4号竪穴住居跡からは、土偶や石剣、独鈷石(どっこいし)が出土しました。土偶は、人型の腕の部分に当たるもので、中空となっており、表面には紋様が施されています。石剣は、上部の一部が欠けており、長さは約30cmほどありました。独鈷石は、その形が仏具の独鈷杵(どっこしょ)に似ているところから名付けられもので、表面はきれいに磨かれ、火を受けた痕が確認されました。これらの遺物は祭祀に使用されたと考えられます。当時の生活の様子を伝える遺物です。
 
土偶の腕(左)と石剣 独鈷石(左)と仏具の独鈷杵(右イラスト)
 

今月の逸品(2021.9):下大賀遺跡出土の墨書土器


今回ご紹介するのは、那珂市下大賀遺跡の第19号竪穴建物跡から出土した墨書土器です。
本跡からは、 墨書土器片が11点出土しています。坏や皿の外側には墨で文字が書かれています。文字の内容は吉祥句や方向・場所などを表わしたもので、「徳」や「中」、「大𦊆(岡)家」など確認できるものもありますが、字形の一部だけを残すものや墨痕が極めて薄いため判読できないものがほとんどです。出土した墨書土器からは、地域の生活の一面や出土している遺跡の性格も推定することができます。
 
第19号竪穴建物跡から出土した墨書土器 土師器皿の墨書「大𦊆(岡)家」
 

今月の逸品(2021.8):金田西(こんだにし)遺跡出土の漆付着土器


金田西遺跡から出土した漆が付着した平安時代の小形甕と高台付坏を紹介します。
漆は塗料や接着剤として古来より素材の腐朽を防ぎ、木製品などを長持ちさせる優れた生活資材として使われてれてきました。元来、漆は無色透明ですが、これに顔料等を添加することにより、黒や赤といった色を出し、塗付物に使用するものです。
今回出土した小型甕の底には、漆が固まった状態で付着していました。この漆が付着した小型甕は漆の貯蔵用、もしくは運搬用と考えられます。また高台付坏は壊れた土器を再利用し、漆を塗る際のパレットととして使用されていたと考えられます。これらの遺物は、当時の人たちの生業を探る上で重要な意味を持っています。
 
漆が付着した小形甕 パレットとして使用された高台付坏
 

今月の逸品(2021.7):船玉台遺跡出土の皿と内耳鍋


今回紹介する逸品は、小美玉市の船玉台遺跡から出土した中世の皿と内耳鍋です。皿は、ロクロ作りで、大きさによって大形、中形、小形の3種類があります。内耳鍋は、口縁の内側に鍋を吊るすための耳が付いていることが特徴です。この内耳鍋は、調理具であるため被熱を受けて脆くなり、多くの破片となり廃棄された状態で出土しましたが、破片を接合して復元することができました。これらの土器は、当時の土器の製作や使用の様子を知る貴重な資料になっています。
 
中世の皿と内耳鍋
 

今月の逸品(2021.6):上境旭台貝塚出土の旧石器


上境旭台貝塚から出土した旧石器は、皮なめしの道具として使用された掻器(そうき)2点のほか、石刃18点、剥片56点、石核12点などです。石材は東北産の頁岩が7割を占め、信州産の黒曜石や在地産の瑪瑙(めのう)なども用いられています。大型の石刃が多数出土しており、縦長の石器素材を一定の形で効率よく採取する方法(石刃技法)が用いられたことを示しています。また、自然科学分析により、石器が出土した関東ローム層は、約30,000年前に鹿児島県の姶良(あいら)カルデラから噴出した火山灰(AT層)よりも古く、第2黒色帯と呼ばれる層に相当していることが分かりました。当該期の石器群は、県内での発見例が少なく、使用石材や製作技法、出土層位が分かる貴重な資料です。
 
旧石器時代の石器製作跡から出土した石器群
 

今月の逸品(2021.6):塔ノ内南(とうのうちみなみ)遺跡出土の土師器


塔ノ内南遺跡から出土した古墳時代後期の土師器を紹介します。 第80号竪穴建物跡から出土した土師器は、黄色みがかった粘土で作った土器を、蒸し焼きにしたり、漆を塗ったりして黒く仕上げており、県内では一般的なものです。それに対し、第90号竪穴建物跡から出土した土器は、赤みがかった粘土を使って作られています。これらは、現在の栃木県南部から埼玉県北部に多く見られる粘土と器形です。当遺跡周辺は栃木県から流れてくる小貝川や桜川に近く、赤い土器は水運によって他地域から持ち込まれたものと思われます。
 
第80号竪穴建物跡から出土した土師器 第90号竪穴建物跡から出土した土師器
 

今月の逸品(2021.5):姥久保遺跡出土の灰釉陶器·緑釉陶器


今回紹介する逸品は、かすみがうら市姥久保遺跡から出土した灰釉陶器と緑釉陶器です。
灰釉陶器は、植物の灰を釉薬(うわぐすり)とした焼物で、9世紀に東海地方で生産が始まりました。写真の灰釉陶器皿は釉薬を刷毛で塗っており、よく見ると中央部に釉薬が塗られていません。これは、皿を重ねて焼く際に貼り付いてしまわないようにしたためです。
緑釉陶器は、主に東海地方や畿内で生産され、鉛などの貴重な鉱物を釉薬に使用しており、当時の高級品でした。皿の中央部には点が3点、三角形を描くように配されています。これは、皿を重ねて焼く際に貼り付いてしまわないようにするためのトチンという道具の痕跡です。
いずれの陶器も在地の土器とは異なり、灰釉陶器は白い色調、緑釉陶器は緑の色調で目をひきます。姥久保遺跡は、霞ヶ浦へ通じる恋瀬川の南岸に位置し、対岸には常陸国衙跡や茨城廃寺跡が所在します。恋瀬川の水運を利用し、この地に持ち込まれたことが想像される貴重な遺物です。
 
   
出土した平安時代の灰釉陶器の皿(左)と緑釉陶器の皿(右)
 

令和3年度の整理遺跡


当センターでは、発掘調査で確認した竪穴住居跡などの図面や写真の整理作業、出土した土器などの接合・復元・実測作業などを行い、遺跡の報告書を作成しています。

今年度は、    
  • かすみがうら市の姥久保遺跡
  •    
  • 小美玉市の船玉台遺跡
  •    
  • 筑西市の塔ノ内南遺跡
  •    
  • つくば市の上境旭台貝塚、金田西遺跡、島名本田遺跡、
         元中北東藤四郎遺跡・上河原崎前山遺跡
  •    
  • 那珂市の下大賀遺跡
  •    
  • 下妻市の中居指遺跡
計6市町村の10遺跡について、整理作業を開始しました。
 
埋蔵文化財整理センター
(後ろの森には頓化原古墳があります)
土器の接合・復元作業
 

 
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