[ご案内マップ]
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「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。
所在地 | 牛久市島田町1422-1ほか |
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立地 | 牛久市南東部、小野川左岸の標高22~26mの台地上 |
調査期間 | 2024年4月1日~2025年3月31日 |
調査面積 | 10,614㎡ |
主な時代 | 縄文時代、奈良時代、平安時代 |
主な遺構 | 竪穴建物跡、掘立柱建物跡、鍛冶工房跡、鍛冶炉跡、土坑、溝跡、遺物包含層 |
主な遺物 | 縄文土器、土師器、須恵器、灰釉陶器、土製品、石製品、金属製品、鉄滓 |
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
これまでの調査で、当遺跡は奈良・平安時代の集落跡であることがわかりました。その中でも、第39号竪穴建物跡は出土遺物から8世紀前半と考えられ、集落が形成され始めた時期に建てられた建物になります。建物の規模は1辺が約6m、深さ約50cmであり、同時期の竪穴建物跡も、本跡と同様に平面規模が大きく、掘り込みが深い傾向が見られます。床面に近い位置から椀状滓(わんじょうさい:鍛冶炉の底に溜まった、鉄を製錬する際にでる不純物)が集中して出土しました。当遺跡では鍛冶工房跡と鍛冶炉跡も確認されており、操業時期を検討する上で参考となる事例と言えます。
引き続き、竪穴建物跡を中心に調査を進めています。第40号竪穴建物跡は、出土遺物から平安時代と考えられます。建物の規模は東西方向が約3.0m、南北方向が3.5m、深さ0.4mであり、北壁に造られた竈の両脇が床面より高く、棚状になっています。このような棚状施設をもつ竪穴建物跡は、当遺跡で2例目です。
棚状施設の役割には収納施設や神棚など、諸説ありますが、当時の人々が竈の周辺をどのように利用していたかを知るための手掛かりとなります。
今月は奈良時代と平安時代の竪穴建物跡を中心に調査を進めました。第18号竪穴建物跡は一辺が約7m、深さは約70cmあり、4月から調査した中で最も規模の大きな竪穴建物跡でした。西壁に造られた竈の周辺からは、土製支脚2点や須恵器坏、土師器坏などが出土し、これらの遺物から奈良時代初め頃に住まわれていた建物と考えられます。
今月は、調査と併行して表土除去と遺構の確認作業を行いました。表土除去した範囲からは、竪穴建物跡10棟などを確認しました。奈良時代の第10号竪穴建物跡の調査では、竈内から3枚重ねて伏せられた状態で須恵器坏などが出土しました。これらの出土状況から、竈の廃絶時に伴うマツリが行われたと想定できます。竪穴建物跡の竈の調査によって、当時の人々の竈に対する願いや思いの解明につながる多くの情報を得ることができます。
今年度の調査が始まりました。現在、8世紀から9世紀にかけての竪穴建物跡を5棟調査しています。第9号竪穴建物跡の竈上部から墨書土器が伏せられた状態で出土し、底部には「成」と読める文字が書かれていました。竪穴建物跡中央部の床面上から炭化材が出土しており、この炭化材と床面の間からも墨書土器が出土しました。現在は炭化材を取り上げ、竈内部の調査を進めています。
〒300-1285 茨城県牛久市茨城県牛久市正直町779付近
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