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239 455 107*02
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。
所在地 | 東茨城郡茨城町小鶴字西1331-1ほか |
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立地 | 茨城町北西部、涸沼川左岸の標高5~6mの微高地上 |
調査期間 | 2024年12月1日〜2025年3月31日 |
調査面積 | 1,447㎡ |
主な時代 | 縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代、中世 |
主な遺構 | 竪穴建物跡12棟(弥生2・古墳4・平安5、不明1)土坑100基(縄文4、弥生2、不明94)、溝跡10条(中世)、道路跡2条(中世)、井戸跡1基(中世)、ピット群4か所(中世) |
主な遺物 | 縄文土器(深鉢)、弥生土器(広口壷・双口土器)、土師器(坏・高台付坏・高台付皿・甕・壺・甑)、須恵器(坏)、土師質土器(小皿・すり鉢・内耳鍋)、陶器(高台付碗)、石器(紡錘車)、金属製品(刀子)、自然遺物(馬骨) |
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
南部の調査区では弥生時代と平安時代の集落跡の調査を行いました。弥生時代の第32号竪穴建物跡の規模は長軸4.2m、短軸3.2mの長方形で、中央部には石を配した炉と4本の柱の跡が確認できました。北東壁際からは、高さ約6cmのめずらしい双口の弥生土器が出土しました。
平安時代の竪穴建物跡からは、墨書土器が多数確認できました。第34号竪穴建物跡からは「前家」「□真」「笠」などが、第37号竪穴建物跡からは「摩南ヵ」などの墨書土器が出土しました。当遺跡の南方約1kmには同時期の集落跡である奥谷遺跡が所在しており、多くの墨書土器が出土していることから、関連性が考えられます。
北部の調査区で平安時代の竪穴建物跡を確認しました。規模は長軸1.9m、短軸1.6mとかなり小型の竪穴建物跡です。北壁中央部に竈を付設しており、底面には小型の土師器甕の上に高台付坏が重なった状態で出土しました。土器の下部には焼土が詰まっていること、また土器が被熱していることから、竈にかけた甕の下を支える支脚に転用しものと考えられます。
12月から小鶴西遺跡の調査を開始しました。表土除去を終了した調査区からは、長軸1.2m、短軸0.7mの楕円形の土坑から馬骨が出土しました。馬骨は背骨と肋骨以外はほぼ残っており、出土状況から埋葬されたものと考えられます。残念ながら、その他の遺物が出土していないため、埋葬の時期などは不明です。
〒311-3107 茨城県東茨城郡茨城町小鶴1320付近
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