当センターでは、発掘調査で確認した竪穴建物跡などの図面や写真の整理、出土した土器などの接合・復元・実測などを行い、遺跡の報告書を作成しています。
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今月のイチオシは、那珂市の下大賀遺跡から出土した古墳時代中期(約1,600年前)の鉄剣です。
全長65.8cm、幅3.8cmの切っ先から茎尻まで欠けた部分がない完全な状態で、竪穴建物跡の覆土下層から出土しました。権力の象徴として古墳に副葬されることが多い鉄剣が、竪穴建物跡から出土することはとても稀なことです。
なぜ、この鉄剣は竪穴建物跡から出土したのでしょうか。皆さんはどのように考えますか。
今月のイチオシは、つくばみらい市の鎌田遺跡から出土した奈良・平安時代(約1,100~1,300年前)の鉄鏃(鉄製の矢じり)です。
先端に刃がついた細い棒状のもの、先端が三角形で矢印のようなもの、二股に分かれたもの、小ぶりな斧のようなものなど様々な形が見られます。戦闘や狩猟に用いられるもので、細いものは戦闘用、幅の広い三角形のものなどは狩猟用と考える研究があります。平成11年の調査では、20点ほどの鉄鏃のほかに「矢作家」と書かれた墨書土器が出土していることから、矢の使用だけでなく製作にも関わる可能性があります。
矢じりの形や重さがバラバラだと飛び方も変わるので、矢を射る人には技術が求められます。的を射るまでにどれほどの練習が重ねられたのでしょう。
今月のイチオシは、坂東市の談義所遺跡から出土した縄文時代後期と晩期(約3,500~2,500年前)の台付土器です。
縄文時代後期になると、深鉢ばかりではなく、いろいろな形をした土器が見られるようになります。台付土器もその一つで、短い脚部に大きな鉢が付くもの(左:後期中葉)や、文様のない簡素なもの(右:晩期中葉)など、形も大きさもさまざまです。
特に写真中央の晩期前葉のものは、鉢部が欠損していますが、脚部に精巧な文様が描かれています。円文と三叉文からなる魚眼状三叉文の透かし彫りは、現代の私たちから見てもとてもポップなデザインです。魚が泳ぐような文様に、縄文人たちはどんな思いを込めたのでしょうか。
今月のイチオシは、つくば市の下河原崎谷中台遺跡から出土した旧石器時代(約2,5000~2,7000年前)のナイフ形石器です。
ナイフ形石器は、石片の鋭い辺(刃)を一部残し、そのほかの辺(刃)をつぶすように加工した石器です。獲物を刺したり切ったりするのに用いられた道具と考えられています。
当遺跡からも、様々な石材で作られたナイフ形石器が50点以上出土しています。長さは、4~6cmのものが多い中、2cmほどの小さいものもあります。こんなに小さいナイフ形石器で何を切っていたのでしょうね。
今月のイチオシは、つくば市の島名境松遺跡の土坑から出土した縄文時代後期初頭(約4,000年前)の深鉢です。
口径41.6cm、高さ58.1cm、底径7.9cmの大型品で、当遺跡から出土した縄文土器の中で最も大きなものです。口縁部は緩やかな波状で、胴部の上位でくびれ、底部が小さくすぼむ、優美なプロポーションをしています。
この深鉢は、注口土器とともに出土しました。深鉢内部の土をフルイにかけた結果、炭化したクリの実とオニグルミの殻片、炭化したクリの樹木片を検出しました。
なぜ、深鉢と注口土器は土坑に埋められたのでしょうか。また、どうして深鉢の中にクリの実とオニグルミの殻片を入れたのでしょうか。謎は深まるばかりです。
今年度、整理作業を行う遺跡は、下記の通りです。
以上、8市町の15遺跡について、整理作業を開始しました。
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