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●根方遺跡・諏訪寺院跡(ねかたいせき 08-443-178)(すわじいんあと 08-443-055)
[ご案内マップ] |
65 645 235*67
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。 |
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所在地 |
阿見町追原1535-1ほか |
立地 |
阿見町東部、清明川左岸の標高約25mの台地上 |
調査期間 |
2024年9月1日〜2025年3月31日 |
調査面積 |
1,946㎡ |
主な時代 |
縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代 |
主な遺構 |
基壇建物跡1棟(奈良・平安)、竪穴建物跡10棟(古墳4、奈良2、平安2、時期不明2)、掘立柱建物跡7棟(奈良・平安)、柱穴列3条(奈良・平安)、土坑19基(縄文1、奈良・平安3、時期不明15)、溝跡8条(奈良・平安2、時期不明6)、瓦溜り1か所(奈良・平安)、遺物包含層1か所(奈良・平安) |
主な遺物 |
縄文土器(深鉢)、土師器(坏・甕)、須恵器(坏・高台付坏・蓋・甕)、灰釉陶器(瓶)、土製品(土器片錘・土器片円盤・土玉・羽口)、石器(砥石)、金属製品(釘・煙管)、銭貨(寛永通宝)、瓦(軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦・熨斗瓦・隅切瓦)、鉄滓 |
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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基壇建物跡や複数の掘立柱建物跡、区画溝などの寺院を構成する遺構を確認しました。基壇建物跡の基壇北辺は、瓦が丁寧に並べて積まれている瓦積基壇であることが明らかになりました。また、多量の瓦が出土した瓦溜りの下面からは掘立柱建物跡と柱穴列などを確認しました。建物の軸が異なることから建物を建てた時期が異なると推測できます。基壇建物跡の盛土や掘立柱建物跡の柱埋土からは瓦が出土しており、これらよりも古い時期の瓦葺建物の存在がうかがえます。また、寺院の中心部から離れた調査区北部でも掘立柱建物跡を確認し、寺院の運営に関わる施設の可能性があります。 |
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上空から見た根方遺跡・諏訪寺院跡(北東から撮影) |
集中する掘立柱建物跡と柱穴列(白塗りは建物跡、破線は推定基壇建物跡) |
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調査区北部の掘立柱建物跡群 |
第1号基壇建物跡(北から撮影) |
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基壇建物から北東に20mほど離れた場所で、多量の瓦が出土しました。これらの瓦には、割れていないものと細かく割れたものなどがありました。掘り込みを伴わず、ほぼ同じ高さで水平に近い状態で出土していることから、屋根から落下した瓦や不要になった瓦などが廃棄された後、埋没するまで放置されていた可能性があります。 |
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広範囲に広がる古代の瓦 |
密集する平瓦や丸瓦 |
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基壇建物跡を確認しました。部分的な調査のため全容は不明ですが、基壇部分は、当時の地表面の上に30〜40cmほど平らに盛土して構築し、その北辺には列状に瓦片を並べています。本跡の周辺には割れた瓦が散乱し、礎石や鉄釘も出土しています。鉄釘の中には長さ30cmを超える大型のものもあり、建物の規模の大きさがうかがえます。 |
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基壇建物跡と出土した瓦片(中央部のスペースが基壇) |
列状の瓦片 |
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調査区の中央部で、奈良時代の瓦を含む遺物包含層を確認しました。新しい時代の陶磁器も近くで出土しているため、奈良時代よりも後世に攪乱を受けたものと考えられます。多くの瓦が散乱した状態の中、文様のある瓦当部がほぼ完全な状態で残る軒丸瓦も出土しました。同じ文様の軒丸瓦は平成21年度の調査でも出土していますが、全体像がわかるものは初めての出土で、貴重な発見です。 |
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軒丸瓦とともに散乱した状態の古代の瓦 |
出土した軒丸瓦 |
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9月から調査を開始し、表土除去と並行して遺構の調査を進めています。調査区から道路を挟んだ西側には、建物の基壇状に土の高まりが残る場所が確認でき、周辺で奈良・平安時代の布目瓦が多数採集されていることから「諏訪寺院跡」と呼ばれています。今回の調査では、この寺院跡に関連する遺構・遺物について注目されます。現在調査中の竪穴建物跡からも捨てられた瓦が出土しました。 |
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調査区(左)と基壇状の高まりが残る山林(右) |
瓦が出土した奈良時代の第34号竪穴建物跡 |
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●阿見事務所 [ご案内マップ] |
〒300-0314 稲敷郡阿見町追原2586(茨城県企業局 県南水道事務所 阿見浄水場内) |
65 645 345*51
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。 |
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