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●埋蔵文化財整理センター国田分館 |
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〒311-4205 水戸市下国井町1661-2 |
TEL 029-239-6000 FAX029-239-7977 |
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●旧百里原海軍飛行場掩体壕群(きゅうひゃくりはらかいぐんひこうじょうえんたいごうぐん)
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今から約70年前,15年続いた戦争の末期,日本各地の旧軍事飛行場周辺には,米軍機の攻撃から飛行機を隠し,機体を守るための施設が造られました。これを「掩体(えんたい)壕(ごう)」といいます。小美玉市にはかつて「百里原海軍飛行場」があり,今回はその飛行場周辺に存在していた7基の掩体壕を調査しました。掩体壕の大きさは,幅50m,奥行26m,面積は1300㎡で,オリンピックで使うプールの面積とほぼ同じくらいです。外側の土を溝状に掘って土を取り,幅7〜8m,高さ3m以上の土手状に積み上げて作られています。写真の様にE字形をした2機の飛行機を格納するものと,C字形をした1機を格納するものと2種類の掩体壕がありましたが,数が多いのはE字形の方です。第2・3号掩体壕の格納部付近から機銃弾(機関銃の弾丸)が出土しています。口径が12.7mmであることから,米軍機から発射されたもので,飛行場周辺への空襲があったことを示す資料といえます。旧百里原海軍飛行場掩体壕群は,近代の戦争を伝える貴重な遺跡として,後世にも伝え続けていくことが大切であると考えます。
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上空から見た第2号掩体壕
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第3号掩体壕から出土した機銃弾
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●上野古屋敷遺跡(うえのふるやしきいせき)
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つくば市の中央部に位置し,つくば市と土浦市(つちうらし)の境を流れる桜川(さくらがわ)右岸の台地上に立地しています。当遺跡の所在する地域は,「上野古屋敷」という遺跡名が示すように,室町時代後半に武士たちの屋敷があったと伝えられています。平成12・13年度に続いて平成18・19年度にも発掘調査が行われました。調査の結果,縄文(じょうもん)時代から中世(ちゅうせい)まで,断続的(だんぞくてき)に集落が営まれていたことがわかりました。当遺跡の平安時代の集落は,2,3軒の住居からなる単位集団が,ある程度の間隔をもって存在する散在型の集落に変わっていったと考えられます。なお,今回の調査区から15・16世紀の遺構・遺物が明確に確認されなかったことから,今回の調査区は中世においては集落の外周部に当たっていたと考えられます。
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北側から見た2区の完掘状況
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南側から見た6区の完掘状況
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●上谷田遺跡(かみやたいせき)
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常総市(じょうそうし)の北部,旧石(いし)下町(げまち)域に位置し,鬼怒川(きぬがわ)の支流である将門川(まさかどかわ)の右岸で,周囲を鬼怒川から延びる樹枝状(じゅしじょう)の谷に囲まれた台地上に位置しています。当遺跡のある旧石下町域は,奈良時代や平安時代には下(しも)総国岡田郡(うさこくおかだぐん)(のちに豊田郡と改称)であったことがわかっています。当遺跡の北方1kmには,奈良時代の役所跡と考えられている国生(こっしょう)本屋敷(もとやしき)遺跡(いせき)があり,当地域が古代の政治の中心的な場所であったことが推測されていました。当遺跡からは,奈良時代と平安時代の竪穴(たてあな)住居跡(じゅうきょあと)5軒と土坑(どこう)2基,江戸時代の水路跡(すいろあと)1条や溝跡(みぞあと)1条,土坑2基などが確認されました。当時使用された須恵器(すえき)の胎土(たいど)の特徴から,地元で作られた土器のほか,旧新治村周辺の窯や東海地方で作られた土器も見られ,当時のモノの流通の様子がわかりました。
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●豆薬師北遺跡(まめやくしきたいせき)
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稲敷市に位置する豆薬師北遺跡は,霞ヶ浦(かすみがうら)から南西に約3km離れた沼里川右岸の台地上に位置しています。当遺跡は,縄文時代,古墳時代前期,中世に人々が生活した集落跡であったことが明らかとなりました。縄文時代の竪(たて)穴(あな)住(じゅう)居(きょ)跡(あと)11軒,
古墳時代前期の竪穴住居跡6軒,中世の段(だん)切(ぎ)り状遺構(じょういこう)1か所と土(ど)坑(こう)12基が確認されました。縄文時代前期は今より温暖な時期で,霞ヶ浦周辺の低地部にまで海水が入り込んでおり,当遺跡付近にも村田貝塚などがあり,当時の人々は竪穴住居を拠点にして,貝や魚を捕って生活していたものと考えられます。古墳時代前期の竪穴住居跡は,ほぼ同規模で南北方向に並んで見つかっており,遺跡周辺の地形を考えると,調査区域外の南西部に集落が広がっていた可能性が考えられます。
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縄文時代前期後半の竪穴住居跡
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古墳時代前期の竪穴住居跡
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●上野陣場遺跡(うえのじんばいせき)
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つくば市の中央部に位置し,つくば市と土浦(つちうら)市の境を流れる桜(さくら)川右岸の台地上に立地しています。当遺跡が位置する地域は,「上野陣場」という遺跡名が示すように,室町時代後半に上野地区の村があったと伝えられている場所です。当遺跡は,縄文(じようもん)時代から近世までの集落(しゆうらく)が断続(だんぞく)的(てき)に営まれており,特に古墳(こふん)時代後期及(およ)び平安時代の集落跡(しゆうらくあと)が中心の複合(ふくごう)遺跡です。集落南部の斜面(しやめん)部(ぶ)では,粘土採掘坑(ねんどさいくつこう)が確認されました。ここで採集された粘土を使って,土器や竈(かまど)を作ったと思われます。粘土を採った後の穴からは,多くの土器の破片が出土しており,最後にはゴミ捨て場として使われていたようです。調査した範囲は,集落の東半部にあたり,集落の範囲はさらに西方向に広がり,一大集落が展開していたと考えられます。
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北側から見た調査区完(かん)掘(くつ)状況
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粘土をとった穴(粘土採掘坑)
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●下土師東遺跡(しもはじひがしいせき)
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茨城町の南西部に位置し,涸沼川右岸の標高25mほどの台地上に立地しています。今回の調査では,古墳時代前期と後期の竪穴住居跡が確認されました。
古墳時代前期(約1,700年前)の竪穴住居跡は,焼失したものが多く,柱材が燃え残った炭がたくさん出土しました。また,炉の周囲からは炉器台が3個1組で出土しており,煮炊きの熱効率を良くする工夫がうかがえます。
古墳時代後期(約1,500年前)の竪穴住居跡からは,人物埴輪が出土しました。顔は朱が塗られ,盾を持っている武人の埴輪です。この埴輪は,投げ込まれたような状態で出土していることから,廃棄されたものと考えられます。遺跡の近くにはたくさんの古墳があることから,その古墳から持ち込まれたのかもしれません。また,埴輪を製作していた小幡北山埴輪製作遺跡が近くにあり,この埴輪はそこで製作された可能性があります。
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●下平塚蕪木台遺跡(しもひらつかかぶきだいいせき)
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つくば市の中央部に位置し,蓮沼川右岸の台地上に立地しています。当遺跡は,古墳時代後期(約1,400年前)から平安時代(約1,000年前)にかけての集落跡で,竪穴住居跡約120軒のほか,掘立柱建物跡・井戸跡・鍛冶工房跡,氷室状土坑・粘土採掘土坑などが確認され,集落は様々な施設で構成されていたことが分かりました。
竪穴住居跡からは,多数の土師器や須恵器の日常雑器をはじめ,鉄製品の刀子・鎌・斧・穂摘み具・鏃・釘などが出土しています。井戸跡からは,井籠形(せいろうがた)で3段に組まれた木製井戸枠が出土しています。鍛冶(かじ)工房跡からは,鉄滓・椀状滓・鍛造剥片・粒状滓が出土し,集落内で製鉄が行われていたことが分かりました。竪穴住居跡の中には,床を当時の役所の建物や倉,寺等を建てる際に用いられる版築(はんちく)技法で構築した住居跡が確認されました。
当遺跡は,製鉄技術や版築技術のような高度な技術を持った人々の集落であったと考えられます。
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井籠形に組まれた井戸枠
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版築技法の説明を受ける一般公開の参加者
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●小幡城跡(おばたじょうあと)
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茨城町の南部に位置し,寛政川右岸の台地上に立地しています。当城は,谷津の入り組んだ地形を利用して築城された平山城です。調査は城の外周部分を中心に行い,そこからは大きな堀と土塁が見つかり,7の郭の存在を実証することができました。
7の郭からは,掘立柱建物跡,方形竪穴遺構,井戸跡,溝跡,墓坑などの遺構が確認されました。溝からは土師質土器の小皿などが,墓坑からは懐刀(ふところかたな)や漆器椀が出土しています。また,7の郭は,広大な平場であることも分かりました。この平場は,戦いの時の兵の駐屯地や城の周辺に住む住民の避難場所に利用されていた可能性があります。
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●上境旭台貝塚(かみさかいあさひだいかいづか)
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つくば市の東部に位置し,桜川右岸の低地から入り込む谷津に面する台地上に立地しています。当遺跡は,縄文時代後・晩期の貝塚で,貝(ヤマトシジミ・ハマグリ),獣骨(イノシシ・シカ),魚骨(タイ・スズキ)などが出土し,当時の食生活を知る好資料を得ることができました。
調査区はA〜D区に分けて調査を行いました。A区は,トレンチ調査の結果,ヤマトシジミを主体とした良好な貝層が確認できましたので,保存地区となりました。C区では,縄文時代の竪穴住居跡2軒を始め,土坑15基などを調査しました。これらの遺構は,貝塚を形成した時期の居住施設や貯蔵施設の一部と考えられます。
遺物は,縄文時代後期から晩期(約3000年前)にかけての縄文土器片6万点余りとともに,土偶,耳飾りなどの土製品,石鏃・石斧・石錘・石棒などの石器などが数多く出土しています。また,動物形土製品や海獣形土製品も出土しています。
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調査区北東部(A区)の貝層
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縄文時代後・晩期の土器
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●瀬沼遺跡(せぬまいせき)
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五霞町の南西部に位置し,利根川右岸の標高約10mの低位段丘上に立地しています。当遺跡は, 縄文時代中期(今から4500年ほど前)の集落跡,中世後半(今から500年ほど前)の墓跡,近世後期から近代(約250年前から150年前)かけての運河跡であったことが分かりました。
縄文時代中期の竪穴住居跡は1軒が確認され,たくさんの縄文土器(深鉢)が捨てられた状態で出土しました。 中世後半の遺構は,六道銭が出土した墓坑とともに,火葬土坑40基を確認しました。
運河跡は直線的で,L字状に屈折した先端部には舟着き場を確認しました。舟着き場からは,陶磁器とともに漆器や下駄などの木製品も多量に出土しました。当時は,水害と闘いながら運河の水運や用水を活用していたことがうかがえます。
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竪穴住居跡から出土した縄文土器
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運河先端部の舟着き場
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●田島遺跡(たじまいせき)
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石岡市の南東部に位置し,恋瀬川左岸の標高8〜19mの河岸段丘上に位置しています。当遺跡は,竪穴住居跡108軒,掘立柱建物跡9棟などが見つかり,古墳時代前期,古墳時代後期,奈良・平安時代(約1100年前)の集落跡であることが分かりました。中世(約700年前)の遺構としては,土坑・墓坑・地下式坑・火葬土坑・粘土貼り土坑・井戸跡などが確認され,中世は墓域であったことも分かりました。
奈良時代の焼失住居からは,坏・捏鉢・長頸壺などの須恵器や,坏・鉢・小形甕などの土師器が完全な形で出土しています。また,奈良・平安時代の竪穴住居跡からは,漁の網のおもりとして使用した土玉や管状土錘などが多量に出土しています。当遺跡は,多くの竪穴住居跡や遺物が確認されたことから,当地域の中心的な集落であったと考えられます。
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奈良時代の焼失住居から出土した土器
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竪穴住居跡から出土した土玉
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●同所新田遺跡(どうしょしんでんいせき)
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五霞町の北東部に位置し,利根川右岸の標高約12mの低位段丘上に立地しています。当遺跡は,近世の鉄製品生産遺跡です。今回の調査では鍛冶関連遺構は確認できませんでしたが,前回の調査遺構と同時期である近世後期(約250年から150年前)の掘立柱建物跡や土坑などを確認しました。
水を溜めたと考えられる土坑は,粘土を使って壁や底面を堅く叩き締めたその上に,木質部がわずかに残っているものも見られます。また,日常の不要品を廃棄した土坑は,大きさはさまざまですが,これらの中には破片の総重量が10kgを超える多量の陶磁器類が廃棄された土坑もあります。さらに,捨てられた陶磁器類をみると,壊れた破片をつなぎ直して使用したものが多くあります。
当時の人々は,使用できなくなったものをゴミとしながらも,ものを大切に使っていたことがうかがえます。
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●本田遺跡(ほんでんいせき)
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境町の南西部に位置し,利根川左岸の標高約10mの台地上に立地しています。当遺跡は,縄文時代後期から晩期にかけての竪穴住居跡や土坑,古墳時代中期の竪穴住居跡,近世の井戸跡や道路跡などを確認しました。
縄文時代の集落跡は,竪穴住居跡約20軒と土坑80基などが見つかっており,当時の生活の様子がうかがえます。竪穴住居跡は径が約8mあり,壁の近くにはたくさんの柱穴があります。中央部には火を炊いた炉があり,焼けた土の中からは動物の骨などが出てきました。住居跡の中からはたくさんの縄文土器のほか,ネックレスとして使用された勾玉や耳飾りなどの装飾品,土偶や石剣などのお祭りに使われた道具なども見つかっています。
また土坑と呼ばれる穴の中からは,たくさんの縄文土器や石器などのほか,炭化した木の実が見つかったことから,貯蔵のための穴であったことが分かりました。イノシシの頭の骨やオオタニシなどの貝がらなどが見つかった土坑もあり,この土坑はゴミ穴として使われていたようです。
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縄文時代の竪穴住居跡を調査するスタッフ
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碧玉製の勾玉(まがたま)
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整理センター国田分館では,整理作業を行っている遺跡から出土した遺物の展示を開始しました。展示期間は1月末日までの予定です。展示内容は時期により異なりますが,現在はつくば市の上境旭台貝塚から出土した縄文時代の石器や骨角器,茨城町下土師東遺跡から出土した古墳時代の遺物,小幡城跡から出土した中世の陶磁器類や古銭などを展示しています。
また,国田小学校6年生が社会科の歴史学習の一環として,当国田分館を訪れ,展示室の遺物や整理作業の様子を見学しました。展示室の見学では,動物の骨で作った道具に驚いた様子でした。
事前にお申し込みをいただければ,展示室や整理作業の様子も見学できますので,たくさんの方のご来館をお待ちしています。
開室時間 午前9時から午後5時まで
閉室日 土日曜日・祝祭日
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これからどんな形になるのかな
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熱心に説明を聞く国田小の6年生
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