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城里北事務所

〒311-4303東茨城郡城里町石塚1584-18
TEL・FAX.029-288-5565
 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
並松遺跡 平成22年1月〜3月 平安,中世 竪穴住居跡,土坑,堀跡 土師器(甕,坏),須恵器(杯),土師質土器(内耳鍋,小皿),鉄製品(鎌)
藤前遺跡 平成22年1月〜3月 奈良,平安,中世 竪穴住居跡,掘立柱建物跡,土坑,堀跡,溝跡 土師器(甕,坏),須恵器(甕,坏),土師質土器(小皿),陶器,鉄製品(刀子,鉄斧,釘)
*主な時代をクリックすると年表がでます。
 

並松遺跡(なみまついせき)藤前遺跡(ふじまえいせき)


平成22年2月の調査状況

 
並松遺跡では,堀跡1条のほか,竪穴住居跡4軒の調査を終了しました。竪穴住居の時期は,出土土器から平安時代(9世紀代)と考えられます。
藤前遺跡では,竪穴住居跡31軒のほか,掘立柱建物跡6棟が確認されています。また,並松遺跡と掘り込みの形状が同じ溝跡も確認されました。幅2m,深さ1.2mほどと並松遺跡の堀跡より規模が小さいことから,中世の石塚城内を区画した溝跡の可能性が考えられます。竪穴住居跡は奈良時代から平安時代(8世紀から10世紀)にかけての遺構と考えられ,掘立柱建物跡も同時期の倉庫群と考えられます。
 
藤前遺跡の第17号竪穴住居跡
並松遺跡の溝跡の土層断面

平成22年1月の調査状況

 
両遺跡は,城里町の北東部に位置し,那珂川右岸の河岸段丘上に立地しており,旧桂村から国道123号線の坂を石塚市街に登った左手になります。調査区域の西側には石塚城跡が存在し,並松遺跡ではその外堀と考えられる幅4m,深さ2mほどの堀跡が確認されました。
藤前遺跡では,竪穴住居跡21軒の他,掘立柱建物跡3棟が確認されました。竪穴住居跡の時期は,出土している土器から奈良時代から平安時代(8世紀から10世紀)にかけてであることが分かりました。1月中旬で遺構の確認作業が終了したので,今後遺構を掘り進めていく予定です。
 
石塚城跡の外堀とみられる
並松遺跡の堀跡を掘り込むスタッフ
藤前遺跡の竪穴住居跡

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