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水戸三の丸事務所

〒300-0025  水戸市三の丸2丁目7番地の27

TEL.FAX 029-231-5875

 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
水戸城跡
平成22年6〜10月 中世、近世 版築状遺構

瓦、陶器、磁器、須恵器土師器

*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

水戸城跡(みとじょうあと)[ご案内マップ]


平成22年9月の調査状況

幕末に存在した二の丸御殿の下の層から、炉跡や埋められた木桶に焼土が詰まった特殊な遺構が見つかりました。また、同じ場所からそれらの遺構と重なるように井戸や排水枡とみられる凝灰岩の井桁状の石組遺構が確認されました。井戸は約1m四方で、排水枡とみられる石組は同規模で長方形をしています。これらの遺構は、炉跡や木桶が埋められた遺構よりも古いものであることが確認できました。御殿の絵図によると調査区は「御膳場」(食堂)付近とみられ、幕末以前から煮炊きをする炉や井戸が必要な場所であったことがわかりました。9月末現在、調査は中世の面にまで達しており、大規模な井戸跡などが確認されています。

 
御殿で確認された井戸(右上)・長方形の石組(左上)と焼土の詰まった特殊遺構。
長方形の石組は他の場所でも見つかりました。
 

平成22年8月の調査状況

現在、江戸時代の面の調査を行っています。これまでの調査で焼けた土を含んだ層が見つかり、火災を受けた跡を確認しました。水戸城にあった建物は、明治5年に火災によってその多くが失われていますが、この層はこの時にできたものと思われます。 焼けた層の下からは、凝灰岩という柔らかい石を敷き詰めた遺構がみつかりました。石の上から丸瓦や唐草文のついた瓦が出土したことから、御殿跡に関係する施設であることがわかりました。この敷石は北から南に向かって緩やかに傾斜し、石の表面には細かい土砂が堆積していたため、敷石の上を水が流れていたと考えられます。御殿の雨水などを外に流す排水路だったのかもしれません。

 
切石を敷き詰めた施設がみつかりました。
敷石の上からは模様のついた瓦が出土しています。
 

平成22年6月の調査状況

当城跡は、那珂川と千波湖にはさまれた細長い台地の東端に位置しています。今回の調査区は水戸三高の敷地内で面積は270m2です。付近は、現在では水戸三高、水戸ニ中、茨城大学附属小などの敷地となっていますが、かつては三階櫓・二の丸御殿など、水戸城の中心的な建物が建てられていたところです。調査区はちょうど二の丸御殿が建っていた場所と考えられ、その基礎とみられる版築状の遺構の一部が見つかりました。遺構は1mも土を突き固めて作られており、大規模な土木工事を行っていたことが分かってきました。今後の調査によって二の丸御殿の様子が少しでも明らかにできるか期待されます。また、版築状の遺構の下には黒色土層が堆積しており徳川時代以前の遺構が存在する可能性もあります。

 
表面をきれいにして,建物の跡を探しています。
攪乱された部分を深掘りして断面をきれいにすると御殿の基礎(上層の褐色土層部分)とみられる遺構が現れました。
 
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