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●坂東内野山事務所 |
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〒306-0514 坂東市内野山字然り山56-3
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TEL.FAX. 080-3405-8217
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遺跡名
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調査期間
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主な遺構
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主な遺物
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然山西遺跡 |
平成23年10月〜平成24年3月月 |
縄文時代・古墳時代 平安時代 |
竪穴住居跡,地点貝塚,土坑,井戸跡,溝跡,道路跡 |
縄文土器・土師器・土製品・石器・石製品
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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●然山西遺跡(しかりやまにしいせき)
[ご案内マップ]
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2月12日に行った現地説明会の後は,調査区西部の緩やかな傾斜地で新たに確認した縄文時代の住居跡4軒を調査しました。第45号住居跡の調査では,たくさんの縄文土器片の中から,茨城県域では出土例が少ない獣面把手(じゅうめんとって=獣の顔が土器の口縁部に表現された土器)が3点出土しました。
今までの調査で,縄文時代前期の住居跡29軒,古墳時代後期2軒,平安時代前期5軒をはじめ,縄文時代前期の地点貝塚3か所や遺物包含層2か所,炉跡などの遺構を確認し,縄文時代前期の中頃(約5,500年前)に集落が繁栄したことが判明しました。また,出土遺物としては,縄文時代の住居跡から,土器と共に,動物を獲るために使った石鏃や木の実をつぶす道具の石皿や凹石などの生活道具がたくさん出土しました。さらに,地点貝塚からは,34万点を超えるヤマトシジミが出土しており,当時の遺跡周辺の低地は,海水と真水が混じり合う水面で,たくさんの自然の幸に恵まれた環境の中で生きてきた縄文人の暮らしぶりの一端を知ることができました。
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東上空から見た調査区
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縄文時代の住居跡調査が終了した調査区西部
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楕円形をした第45号住居跡
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大きな縄文土器片が出土した第190号土坑
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●坂東内野山事務所(然山西遺跡)発掘調査現地説明会のお知らせ
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一般国道468号首都圏中央連絡自動車道新設事業に伴い平成23年10月から調査している然山西遺跡の現地説明会を開催します。当遺跡では,縄文時代前期から平安時代にかけての遺構を確認しています。現地説明会では見つかった遺構と遺物を紹介します。皆様のご来場をお待ちしております。
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●1●日時
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平成24年2月12日(日)午前10時30分〜11時45分(雨天中止)
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●2●場所 |
然山西遺跡 坂東市内野山字然り山59番地の13ほか
※ 駐車場[ご案内マップ
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●3●調査の概要 |
当遺跡は,坂東市の東部から南部にかけて流れる飯沼川の支流である立川左岸の標高12〜16mの台地上に立地しています。平成22年度に続く第2期目の調査で,平成23年10月から平成24年3月までの予定で12,616㎡を調査しています。遺構は,住居跡28軒(縄文21,古墳2,平安5)や縄文時代の地点貝塚3か所などが見つかりました。中心となる時代は縄文時代前期で,この時期の住居は長方形や楕円形などさまざまな形があります。また,複数の炉跡をもつ住居跡や床面までの掘り込みが70cm以上ある住居跡などの特徴も挙げられます。さらに,住居跡が埋まる段階の窪地に捨てられたとみられる貝塚からは,14万点を超えるヤマトシジミが見つかっています。当時は,気温の上昇にともない,この地域まで内海が広がっていたこと(縄文海進)を証明する遺物として注目されます。自然の恵みを受けながら自然と共に生きてきた縄文人の姿を想像することができる遺跡です。 |
●4●問い合わせ先 |
財団法人茨城県教育財団
企画管理課 TEL 029-225-6587
坂東内野山事務所 TEL 080-3405-8217 |
●5●その他 |
当日の問い合わせは坂東内野山事務所にお願いします。
雨天中止。 |
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10月から始まった表土除去は11月上旬で終了し,遺構調査を始めています。調査は東部から開始して3か月がたちました。現在はもっとも標高の高い中央部まで進んでおり,多くの住居跡が見つかっています。これまでに竪穴住居跡20軒,土坑約90基,溝跡6条,道路跡1条,遺物包含層2か所を調査し,竪穴住居跡の時期は,古墳時代が1軒,平安時代が4軒で,ほかの15軒は縄文時代前期であることが分かりました。
今回の調査の主体となる縄文時代前期の頃は,気温の上昇に伴って海水面が上昇した海進期であったといわれています。第33号住居跡からは,汽水域に生息するヤマトシジミが出土していることや,当遺跡に隣接している然山遺跡や打越南遺跡でもヤマトシジミが出土していることから,当遺跡周辺まで内海が広がっていたと想像できます。
また,動物を捕まえる鏃(やじり)や石皿(木の実をすり潰す石の道具)も出土しており,当時の人々の生活の様子も明らかになってきました。
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縄文時代も貝をたくさん食べて
いたのですね!
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第32号住居跡から出土した
多量の縄文土器片
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当遺跡は坂東市の東部,飯沼川支流の立川左岸,標高10〜16mの台地上に立地しています。昨年度の1次調査に続いて,10月から第2次調査が始まりました。
前回の調査では,竪穴住居跡12軒などを調査し,平安時代の住居跡から精錬鍛冶をしていたことを示す羽口や鉄滓のほか,竈の補強材として「均整唐草文」の軒平瓦などが出土しています。
今回の調査区は,前回の調査区の東側にあたり,現在までのところ縄文時代や平安時代の竪穴住居跡が見つかっています。11月上旬に表土除去を終了し,本格的な調査に入る予定です。
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台地縁辺部に位置する然山西遺跡
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縄文時代の竪穴住居を確認中
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