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●石岡事務所 |
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〒315-0043石岡市中津川239番地
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TEL・FAX 0299-24-3515
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遺跡名
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調査期間
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主な遺構
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主な遺物
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槙堀遺跡 |
平成23年12月〜平成24年3月 |
縄文時代,弥生時代,古墳時代 |
竪穴建物跡,土坑 |
縄文土器,弥生土器,土師器,須恵器
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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●槙堀遺跡(まきぼりいせき)[ご案内マップ]
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12月から始まった調査が終了し,竪穴住居跡17軒(縄文時代8軒,弥生時代6軒,古墳時代3軒)土坑68基,溝跡5条,炉穴11基を確認しました。縄文時代早期・前期,弥生時代後期,古墳時代前期・後期と断続的に人々が生活していたことがわかりました。
3月10日(土)には,一般の方々に調査の成果をお知らせするために現地説明会を実施しました。当日は雨天にもかかわらず,65人の方々に来跡いただき,各時代に使われていた土器の形や文様の違いや,石器,土製品の使用方法,住居跡の特徴をもとに,当時の人々の生活の様子や遺跡周辺の環境についての説明を熱心に聞いていただきました。
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北側上空からみた遺跡全景(奥は霞ヶ浦)
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遺物の説明を熱心に聞いている様子
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調査開始から3か月が経ち,竪穴住居跡17軒(縄文時代8軒,弥生時代6軒,古墳時代3軒),土坑74基,溝跡5条,炉穴7基等の調査が終了しました。
縄文時代早期から始まった生活の営みは,前期に集落跡が形成されたあとに一度途絶えています。再び生活の痕跡が見られるのは弥生時代後期からで,住居跡が6軒確認できました。いずれの住居跡も形状が隅丸長方形で,3軒の住居跡からは暖をとるためや調理をするための炉跡も確認できました。住居跡内からは,霞ヶ浦沿岸を中心に分布している「上稲吉式土器」と呼ばれる壺形の土器などが出土しています。
その後の時代では,古墳時代前期の住居跡が1軒,後期の住居跡が2軒確認できました。後期の住居跡には竈が設置されており,煮炊きに使用する甕や甑,現在のお茶碗にあたる坏といった土師器が竈付近から多く出土しています。
調査は3月中旬まで続きます。
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炉をもつ弥生時代後期の竪穴住居跡
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竈の前から出土した甕
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一般国道6号千代田石岡バイパス建設工事に伴い,12月から3月までの予定で発掘調査を実施しています。当遺跡は,石岡市の東部に位置する縄文時代から古墳時代の遺跡です。今回の調査で,縄文時代・弥生時代・古墳時代の集落の様相と各時代の出土遺物を確認することができました。
つきましては,発掘調査の成果を広くご覧いただきたく,現地説明会を開催いたします。
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●1●日時
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平成24年3月10日(土) 小雨決行
午前10時30分公開・説明開始 午前11時45分終了予定 |
●2●場所 |
槙堀遺跡
石岡市北根本字出山885番地ほか
(公開場所は石岡市舟塚山古墳から北西方向へ約1.0kmの距離です。
[ご案内マップ]
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●3●調査の概要 |
当遺跡は,石岡市の東部を流れる恋瀬川の支流である山王川右岸の標高約21mの台地上に立地しています。調査対象面積は5,160㎡で,平成23年12月から平成24年3月のまでの予定で発掘調査を行っています。現在までの調査で,竪穴住居跡15軒(縄文時代7,弥生時代5,古墳時代3),縄文時代の屋外炉,地点貝塚,土坑,溝跡などを確認しました。
調査の結果,人々の生活が縄文時代早期に始まり,縄文時代前期,弥生時代後期を経て,古墳時代まで断続的に集落が営まれていたことがわかりました。竪穴住居跡の形は,縄文時代が楕円形,弥生時代が隅丸長方形,古墳時代が方形で竈を使用していることなど時代ごとの変化を見ることができます。
縄文時代の遺物として,煮炊きや貯蔵に使用したと考えられる縄文土器(深鉢),シカやイノシシを捕るために使用していた石鏃,木の実を砕いたりすり潰したりするための磨石などの道具類が出土しています。また,ハイガイやオキシジミなど海洋性の貝類も出土しており,霞ヶ浦が当時内海であったことを物語る自然遺物です。
。そのほか,古墳時代や平安時代の竪穴住居跡なども確認することができました。 |
●4●問い合わせ先 |
財団法人茨城県教育財団
企画管理課 TEL 029-225-6587
石岡事務所 TEL 0299-24-3515 |
●5●その他 |
当日の問い合わせは,石岡事務所にお願いいたします。 |
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縄文時代の竪穴住居跡の調査
(後方は府中愛宕山古墳)
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弥生時代の竪穴住居跡の調査
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調査開始から2か月が経ち,竪穴住居跡8軒(縄文時代2軒,弥生時代5軒,古墳時代1軒)土坑22基,溝跡3条,炉穴5基等の調査が終了しました。
縄文時代の竪穴住居跡の平面形は楕円形で,炉跡と直径20cmほどの柱穴が確認できました。これらの住居跡からは,縄文時代前期の特徴をもつ土器片が出土しています。この時期の住居跡の数は,さらに増えそうです。土器片とともに貝が出土した住居跡が1軒あります。貝の種類は,ハマグリ,ハイガイ,サルボウなどで,海洋性の貝であることがわかります。縄文時代前期は,海進が最も進んだ時期と言われ,これらの貝の出土は,当遺跡から望む低地には,当時海水が入り込んでいたことを物語っています。
また,5基確認できた炉穴は,縄文時代早期のものと思われます。
現在までの調査から,当遺跡では縄文時代早期に人々の生活の営みが始まり,その後,前期の集落が作られ始めたことが考えられます。
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長径5m程の縄文時代の竪穴住居跡
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炉穴の底面に確認できた炉床
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一般国道6号千代田石岡バイパス新設にともなう槙堀遺跡の調査が始まって1か月がたちました。12月から3月までの4か月間で5,160㎡を調査します。今回は,22年度調査区の北東部を調査しており,縄文時代と古墳時代の竪穴住居跡25軒,土坑約60基などを確認しました。22年度も縄文時代後期と古墳時代中期の竪穴住居跡が12軒確認できましたので,集落がさらに広がっていたと考えられます。さらに,これからの調査で,この台地上で生活を営んでいた古代の人々がどの様に自然と共存していたかや,生活をする上での知恵や願いなどを探究していきたいと思います。
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遺構確認後の槙堀遺跡(西から)
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縄文時代の竪穴住居跡を調査しています
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遺跡名
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調査期間
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主な遺構
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主な遺物
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東田中遺跡 |
平成23年7月〜平成24年11月 |
縄文時代・古墳時代・中世 |
竪穴住居跡,溝跡,土坑,遺物包含層 |
縄文土器,土師器,土師質土器
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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●東田中遺跡(ひがしたなかいせき)[ご案内マップ]
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●東田中遺跡の調査が終了しました。2011.11.30
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7月から始まった東田中遺跡の調査も11月末で終了しました。調査の結果,竪穴住居跡14軒(縄文時代6,古墳時代前期3,古墳時代後期3,平安時代2),縄文時代の袋状土坑(貯蔵用の穴)41基,中世の溝跡1条などを確認しました。中心となる時代は縄文時代中期で,住居跡と貯蔵用の穴が谷を取り囲むように確認できました。当遺跡は,霞ケ浦に流入する山王川左岸の標高24mほどの台地上に位置しており,平坦部を居住域にしながら背後の森や前面に広がる霞ケ浦を食料の供給地としていたことが考えられます。
また,古墳時代前期の住居跡はいずれも火事に遭っており,マツリの痕跡が認められるから,住居の廃絶に伴って故意に焼かれたことが分かりました。
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袋状土坑が弧を描くように配されています。
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使用されなくなった袋状土坑は,壊れた土器が捨てられ,土が埋め戻されていました。
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●東田中遺跡の現地説明会を行いました。2011.11.12
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11月12日(土)は穏やかに晴れ渡り,石岡市内外の約200名の方々が参加してくださいました。多くの方が,縄文時代の住居跡や貯蔵用の穴(袋状土坑)などを興味深く見学し,縄文土器や生活道具(石器・石製品)などの説明に熱心に耳を傾けてくださいました。当時の暮らしぶりに関する質問もたくさんあり,縄文時代を身近に感じていただけたのではないかと思います。
ご参加いただきました皆様,ありがとうございました。
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出土した縄文土器や石器をもとに縄文時代の暮らしについて説明しています。
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袋状に掘られた穴(土坑)の用途について説明しています。
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茨城県立歴史館の主催による「いにしえの霞ヶ浦周辺の歴史を訪ねる旅」の見学ツアーで,42名の見学者が当遺跡を訪れました。
まず,遺跡の概要と出土遺物の説明し,当遺跡から出土した縄文時代や古墳時代の土器などを間近に見られました。縄文時代の土器に直接触れた方は,土器のデザインや製作技術の高さに驚きの声を上げていました。
その後,縄文時代の住居跡や貯蔵用の穴,古墳時代の住居跡などを見学されました。見学の中で,「何人ぐらいが住んでいたのか?」「深い穴をどのようにして掘ったのか?」「穴をどのように利用していたのか?」などの質問があり,当時の人々の生活に思いを馳せていたようです。
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一般国道6号(千代田石岡バイパス)建設事業に伴い,7月から11月までの予定で発掘調査を実施しています。調査の結果,縄文時代や古墳時代,平安時代の集落跡などが確認できました。
つきましては,発掘調査の成果を広くご覧いただきたく現地説明会を開催いたします。
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●1●日時
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平成23年11月12日(土)午前10時30分公開・説明開始(正午終了予定・雨天中止)
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●2●場所 |
東田中遺跡
石岡市大字東田中字宮脇香取境外857番地の1ほか [ご案内マップ
]
※駐車場は石岡市総合運動公園駐車場を利用してください。 [駐車場のご案内マップ
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●3●調査の概要 |
縄文時代中期を中心とする集落跡で,竪穴住居跡5軒のほか,貯蔵用と見られる袋状土坑40基を確認し,たくさんの縄文土器が出土しました。また,竪穴住居跡のなかには2段に掘り込まれているものもありました。そのほか,古墳時代や平安時代の竪穴住居跡なども確認することができました。
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●4●問い合わせ先 |
財団法人茨城県教育財団
企画管理課 TEL 029-225-6587
石岡事務所0299-24-3515,080-3405-9015 |
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2段に掘り込まれた縄文時代の竪穴住居跡です。
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縄文時代の土坑から出土した縄文土器です。
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調査を開始してから3か月がたち,確認した縄文時代の竪穴住居跡は5軒になりました。貯蔵施設と見られる土坑は30基ほどになり,この数は今後の調査によってさらに増えていきそうです。入り口が狭く底面に近くなるほど広く掘り込まれたこれらの土坑は,形が巾着袋に似ていることから袋状土坑と呼ばれ,当時の主食であった木の実や山菜などを保存していたと考えられています。道具の少なかった当時,このような形状に掘ることは大変だったと思われますが,内部は温度や湿度が一定に保たれるため,貯蔵には最適な穴でした。確認した袋状土坑の多くは,貯蔵施設としての役目を終え,人工的に埋め戻されており,壊れた土器を捨てるゴミ穴として二次利用されたものも多く見られました。
古墳時代の竪穴住居跡からは,多量の炭化材や焼土が見つかりました。この住居跡は意図的に焼かれており,壺や高坏が多く出土していることから,住居の廃絶にあたってマツリが行われたことが考えられます。
今後は,縄文時代の調査が中心になります。調査を通して,縄文人の生活の知恵を探りたいと思います。
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古墳時代前期の竪穴住居跡から焼土や炭化材が出土しました。
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袋状土坑を掘り込んでいるところです。深さは150cmほどあります。
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8月4日(金)に,茨城県立中央青年の家主催の「どきどき体験!歴史の世界へタイムワープ」の一環として,小学生20人が発掘体験学習を実施しました。
灼熱の太陽が照りつける酷暑の中でも,子どもたちは元気いっぱい!体調を崩すこともなく,教えたとおりの手順で,竪穴住居跡を丁寧に掘り込んでいきました。大きい土器のかけらが発見されるたびに歓声が上がり,周りの子どもたちも負けじと手を動かしていました。
2時間ほどで体験は終了しました。参加した子どもたち全員が土器片を発見することができ,汗をぬぐい,水分を補給しながら満足げな表情を浮かべていました。今回の体験が,身近な歴史に目を向けるよい機会となることを願っています。
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掘り込んでいるのは古墳時代の竪穴住居跡です。
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道具の使い方を覚えて「さあ,見つけるぞ!」
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7月から,東田中遺跡の調査を開始しました。当遺跡は,山王川左岸,標高24mほどの舌状台地上に立地しています。山王川に面して多くの支谷があり,低地には水田が広がっています。
調査区は,道路を挟んで東西の2箇所に分かれており,現在は遺構確認作業を行っています。これまでに確認した遺構は,縄文時代や古墳時代の竪穴住居跡のほか,溝跡や土坑などです。当遺跡は,縄文時代以降,人々の生活の場となっていたと考えられます。今後の調査で遺跡の性格を明らかにしていく予定です。
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遺構の確認をしている様子
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住居跡の確認をしている様子
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