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●美浦事務所 |
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稲敷郡美浦村大字木原字本丸1675 木原城址城山公園内
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TEL.029-885-6566(8月まで)
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遺跡名
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調査期間
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主な遺構
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主な遺物
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木原城址 |
平成23年6月〜8月 |
縄文時代,古墳時代,平安時代,中世 |
土塁,堀,道路跡,曲輪,竪穴住居跡 |
縄文土器,弥生土器,土師器,須恵器,中世陶器
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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●木原城址(きはらじょうし)[ご案内マップ]
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平成23年8月末日で,調査が終了しました。 木原城址は,霞ヶ浦を北に望む台地上に築かれた連郭式の城で,現在確認できる城跡の範囲は東西650m,南北700mに及んでいます。戦国時代には,江戸崎城の支城の一つであったといわれており,城主は近藤氏と伝えられています。
今回は,「大(おお)手(て)郭(くるわ)」と呼ばれる曲(くる)輪(わ)の北西部分を調査し,土塁3条や堀跡3条,溝跡4条等を確認することができました。
また,古墳時代の竪穴住居跡や竪穴遺構も確認でき,木原城が築かれる以前にもこの台地上で生活が営まれていたことが分かりました。縄文土器や弥生土器も出土していることから,さらに古い時代にも人々が住んでいたことが推測されます。
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上空(北側)から見た調査区域 左側の林が大手郭,右側は木原小学校で三の丸になります。
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土塁や堀から出土した土器・陶器 左は陶器(すり鉢・天目茶碗),右は土師質土器(小皿)です。
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北から見た第2号土塁関東ローム層を削りとって作られています。
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第4号堀跡底面が土坑状に掘られていました。
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主要地方道美浦栄線交差点改良工事に伴い,6月から8月までの予定で発掘調査を実施しています。調査の結果,木原城址の堀や土塁,縄文時代の土坑,古墳時代の住居跡などが確認できました。
つきましては,発掘調査の成果を広くご覧いただきたく現地説明会を開催いたします。
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●1●日時
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平成23年8月20日(土)
午後2時30分公開・説明開始(午後4時終了予定・雨天中止) |
●2●場所 |
木原城址
稲敷郡美浦村木原1568番地6ほか (公開場所は木原小学校前の県道になります) ご案内マップ] |
●3●調査の概要 |
古墳時代の竪穴住居跡,縄文時代の土坑,木原城に伴う堀や溝,土塁などが確認されています。
木原城址は戦国時代の城跡で,県内屈指の規模を誇り,堀や土塁が良好に保存されています。今回の調査区域は城の正門に当たる大手郭の北西部で,堀や土塁が大手郭を取り巻く状況を確認することができました。
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●4●お問い合わせ先 |
財団法人茨城県教育財団
企画管理課 TEL 029-225-6587
美浦事務所029-885-6566,080-3405-905 |
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平成23年7月8日に木原小学校児童59人が遺跡の見学に訪れました。木原城址は,堀や土塁の保存状態が良好で,詰曲輪(本丸)が城址公園として整備されています。小学校に隣接して城の施設が現存し,堀や土塁のそばを登下校する児童の姿が見られます。
今回,児童たちは,調査によって発掘された堀や土塁の様子を間近で見ることができました。「何でこんなに土を積み上げたの?」「どうして掘ったの?」といった疑問の声が挙がりました。さらに,遺跡には弥生時代や古墳時代の住居跡も発見されており,「そんな昔に,ここに住んでたんだ」と,驚きの声も聞かれました。
最後に,出土遺物を見ました。古墳時代の土器や中世の陶器を見ながら,当時の人々の暮らしを想像することができました。
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土塁を見学する児童
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「土器にさわってもいいですか?」
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6月から8月までの3ヶ月間の予定で,主要地方道美浦境線交差点改良工事に伴う580㎡を調査します。木原城址は,美浦村の北部,霞ヶ浦を望む台地上に位置しています。県内屈指の規模と構造をもつ大城郭で,本丸(詰郭)は城址公園,二の丸は木原小学校の敷地となっており,周囲にはさらに複数の郭が良好な状態で残っています。今回の調査区は,木原城の大手門とみられる大手曲輪の外郭に位置しています。
表土除去を行った結果,城の施設の一部である土塁3条や堀2条,道路跡1条のほか,城が築かれる以前にも人々が生活していたことを示す竪穴住居跡3軒などが見つかりました。
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遺構の広がりを調べています。
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確認された土塁の様子です。
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