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整理センター国田分館[ご案内マップ]

然山西遺跡(しがれやまにしいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,坂東市の北東部に位置し,飯沼川と立川に挟まれた標高11〜16mほどの台地上に立地しています。  

整理作業の結果,縄文時代前期の地点貝塚から出土した40万点を超える貝のうち,ほとんどが汽水域に生息するヤマトシジミであることがわかりました。他にハマグリ,アサリ等の海に生息する貝も合わせて500点ほど出土しており,縄文海進による内海の広がりが当遺跡周辺にまで広がっていたことを裏付けています。

平安時代の竪穴住居跡の竈には,「豊田」とヘラ書きされた瓦が補強材として使われていました。この瓦は,下総国分寺跡から出土した瓦と同じ文様であることがわかりました。したがって,下総国分寺跡の周辺で焼かれた瓦が,当遺跡周辺の瓦葺きの建物に供給され,その後,当遺跡で再利用されたと考えられます。また,「豊田」は飯沼川を挟んだ対岸の地域の古代郡名であるため,当地域の古代史を紐解く上で重要な資料となっています。
 
写真1  地点貝塚の調査風景
写真2 「豊田」とヘラ書きされていた瓦
 

木原城址(きはらじょうし)[ご案内マップ]


整理の成果

当城跡は稲敷郡美浦村の北西部に位置し,霞ヶ浦南岸の標高20mほどの台地上に築かれています。戦国時代は,江戸崎城に拠点をおいた土岐氏の家臣近藤氏の居城であったとされています。調査区域は,台地上に構築された大手郭と三の丸に挟まれた緩斜面になります。  

整理作業の結果,当該地に構築されていた土塁・切岸や堀は,当城の弱点部にあたる緩斜面の防御をしていたことが分かりました。また,土塁跡の出土遺物と文献史料とを照合すると,16世紀中葉に構築され,17世紀前葉までには廃絶されたと考えられます。

当城の城郭構造は,堀跡2条の特徴から知ることができました。外堀は,対岸や堀底が確認できなかった大規模な堀です。江戸時代の絵図からは麓の町場や霞ヶ浦へ通じる水路と結び付いた様子が描かれ,城内への物資輸送に利用された可能性があります。また内堀の底面には不規則な窪みが掘り込まれ,堀内へ進入したら,その進行を妨げる構造となっており,防御性の高い障子堀の影響をうけた構造と考えられます。

当城の築城にあたっては,緩斜面の防御の強化に加えて,霞ヶ浦の水利を活かした城郭の在り方が考えられます。
 
写真1 木原城調査区全景(北西上空から)
写真2 木原城址から出土した遺物
 

日向遺跡(ひなたいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,常陸太田市の南部に位置し,久慈川の支流である亀作川左岸の標高30mほどの台地上に立地しています。整理作業の結果,古墳時代及び奈良・平安時代を中心とした集落跡であることが分かりました。

古墳時代の集落は,古墳時代前期(約1,700年前)に始まり,中期(約1,600年前)には,径35mほどの古墳が築造されています。その後も継続して集落は営まれ,古墳と共存している様相がうかがえます。  

奈良・平安時代の集落は,東海地方から持ち込まれた緑釉陶器や灰釉陶器のほか,鉄製品も多く確認されており,集落が繁栄した様相がうかがえます。また,「日奈田」と墨で書かれた土器が出土し,当地が古代から「ひなた」と呼ばれていたことがわかりました。住居跡は90軒以上が確認されていますが,倉庫跡と考えられる掘立柱建物跡は1棟しか確認できません。一方で工房跡の可能性がある大形の竪穴遺構が3基も確認されています。当集落は水田耕作が安定せずに,生産物は特定できませんが,手工業に生活の糧を求めたものと思われます。
 
写真1 調査区全景(北西上空から)
写真2 黒色処理された平安時代の土器
 

島名熊の山遺跡(しまなくまのやまいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

島名熊の山遺跡は,つくば市南西部の東谷田川右岸の台地上を中心に広がる古墳時代から平安時代にかけての集落跡です。今年度は,平成22・23年度に調査した遺跡南東部の調査区について整理作業を行いました。

整理作業の結果,谷部で確認した古墳時代から平安時代にかけての井戸跡と遺物集中地点は,井戸の湧き水が凹地を流れていく一連の水場であり,水場を利用した祭祀の場であることが明らかになりました。井戸跡や遺物集中地点からは,850点にのぼる墨書土器や木簡,農具,容器類,祭祀具などの木製品,1,000点を超えるモモの種やクリ,ヒョウタン,ウリなど種子類が出土しています。特に,墨書土器には当地域の地名である「嶋名」をはじめ,集落の標識文字とみられる「巳」と「人」を組み合わせた文字や「川」など,様々な文字が書かれていました。これらのことから,水場の周囲に人々が集まり,季節に応じて宴会や祭りを行なっていた様子がうかがえます。こうした情景は『常陸国風土記』にも数多く描かれており,古代の人々と水との関わりが具体的に分かる貴重な成果を得ることができました。
 
写真1 多量の土器が出土した水場の跡
写真2 様々な文字が書かれている土器
 

作野谷南遺跡(さくのやみなみいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

作野谷南遺跡は,結城市の北西部に位置し,鬼怒川と西仁連川に挟まれた南北に細長く延びる標高約34mの台地に立地しています。

整理作業の結果,当遺跡は室町時代の集落跡であることが分かりました。建物跡・竪穴遺構の近くに井戸跡があることや,灯明皿や内耳鍋,常滑製大甕,石製鉢などの出土遺物から,日常的な生活空間だったことが確認できました。また,古瀬戸瓶子や花瓶,中国産の青磁碗などが破片ながらも出土しているので,有力者の存在もうかがうこともできました。

調査区域の西部を南北に走る現在の道路は,「鎌倉街道」と呼ばれており,結城城から猿島郡を通り,武蔵国を経て鎌倉に至る中世以来の幹線道路と伝えられています。古文書には「鎌倉大道」と記されており,遺跡の南側には「屋敷付」,さらに南へ3.5kmには「大道」という地名が残っています。遺跡周辺には,社や石塔,塚などが残る中世的な景観も見られ,当遺跡は,街道沿いに営まれた宿場であったと考えられます。
 
写真1 遺跡遠景(東に筑波山をのぞむ)
写真2 出土した土師質土器や陶器
 

埋蔵文化財講演会を開催しました。

12月9日(日)茨城県立歴史館の講堂において,埋蔵文化財講演会を開催しました。今回は,国立歴史民俗博物館教授 西本 豊弘(にしもと とよひろ)先生を講師としてお迎えし,「動物考古学からみた縄文時代の環境とくらし」という演題で御講演をいただきました。当日は,約120人の方々が考古学の楽しさにふれてくださいました。

西本先生には,遺跡から出土した人骨や獣骨を動物考古学の見地から考察し,当時の自然環境や人と動物との関わりについて具体的な事例をあげながら説明していただきました。当紹介展で展示しているつくば市の上境旭台貝塚から出土した貝殻や動物・魚の骨についてもお話があり,その中のオオヤマネコの骨をとりあげ,氷河期に繁栄し,縄文時代晩期に日本列島から姿を消した動物であることなどを教えてくださいました。また,犬や猫などの身近な動物の話題から,人のくらしかたや動物との関わりが縄文時代から続いていることなどもお話しいだたきました。参加者の方からは,動物考古学は初めてだったので面白かった。話題が身近だったので,分かりやすかった等の感想を聞くことができました。

講演会後は,参加者の皆様に同館において開催中の「教育財団調査遺跡紹介展」をご覧いただきました。当財団の調査員が,昨年度当財団が発掘調査を実施した12遺跡の出土品について解説を行い,参加者の皆様はとても興味深そうに展示を見てくださいました。

多くの皆様にご参加いただき,講演会が盛大に開催できましたことを深く感謝申し上げます。なお,「教育財団調査遺跡紹介展」は,1月27日(日)まで開催しております。皆様のご来場をお待ちしています。
 
写真1 講演に耳を傾ける参加者 
写真2 縄文人の話をする西本先生
 
写真3 調査員へ質問する参加者
写真4 出土品を熱心に見る参加者
 

城東小学校6年生が職場体験のため来館されました。

11月7日に城東小学校6年生7名が職場体験に来館されました。館内を見学された後,土器の撮影と拓本採りを行いました。つかの間の職場体験でしたが,子どもたちの目には,どのような仕事に映ったのでしょうか。自分で撮影した土器の写真や拓影図をおみやげに「楽しかった。」と感想を残して,センターを後にしました。
 
写真1 カメラをのぞき込む表情は真剣です
写真2 拓本もきれいに採れました
 

宮田館跡(みやたやかたあと)[ご案内マップ]


整理の成果

当館跡は小美玉市の中央部に位置し,園部川左岸の標高22mほどの台地上に立地しています。園部氏が拠点とした小川城の支城で,道路が集約する要所に占地されています。また,園部川右岸に点在する大掾(だいじょう)氏の支城と対峙しています。  

整理作業の結果,台地上を平坦に整地した後,薬研堀を掘削しながら土塁を構築し,曲輪を造成した普請の様相が明確になりました。園部氏と大掾氏の抗争が激化する16世紀中〜後葉には,薬研堀から切岸を用いた堀へと改修されたことが分かりました。  

出土遺物は16世紀代の雑器(土師質皿・鍋など)が主です。出土量は調査面積の割には少なく,調査地点の立地と併せて考えれば館の主体部は当該地の外に存在したと思われます。出土遺物の大半は,土塁を壊して廃絶した堀の堆積層からの確認で,16世紀末葉に豊臣氏の一大名として当地域へ進行してきた佐竹氏の支配期に破却されたと考えられます。
 
写真1 宮田館跡全景(南西上空から)
写真2 堀跡出土の土師質土器と鉄砲玉
 

茨城県教育財団調査遺跡紹介展2012−見て,ふれて,楽しい考古学− (In茨城空港・整理センター)を開催しました。

11月1日(木)〜4日(日),茨城空港並びに埋蔵文化財整理センター国田分館にて調査遺跡紹介展を開催いたしました。茨城空港では,県内外から,4日間で総数1,138名という多くの皆様にご来場いただき,ありがとうございました。空港という場所柄,遠隔地からの来訪者も多く,展示を通して地域による歴史や文化の違いを感じていただけたのではないでしょうか。

今回展示した遺物を含め,さらに出展数が増えて,12月8日から歴史館にて「茨城県教育財団調査遺跡紹介展」が開催されます。また,12月9日には,埋蔵文化財講演会を行います。詳細につきましては,当HPの「最新の情報」にて,ご案内いたします。今回の展示を見逃されてしまった方はもちろん,たくさんの方々のご来場をお待ちしております。
 
写真1 オープン展示で,より身近に
写真2 調査担当者による充実した解説
   
   
写真3 子供たちも楽しめた体験コーナー
写真4 幼稚園生も見学に来た国田分館
 

槙堀遺跡(まきぼりいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,石岡市の東部に位置し,恋瀬川支流の山王川右岸の標高21mほどの台地上に立地しています。  

整理業務の結果,遺跡の北東部で環状に配置された炉穴は,縄文時代早期のものとわかりました。また,炉穴や縄文時代前期の住居跡,後期の土坑からは,海で採れるハイガイやオキシジミなどの貝殻が6,000点余り見つかっています。当時,霞ヶ浦は海とつながっていて,温暖な縄文海進期には,当遺跡の近くまで海が迫っていたことがわかりました。  弥生時代後期の竪穴住居跡の床下からは,4個体の壺が寝かされた状態で見つかりました。骨片や骨粉は検出されませんでしたが,他の調査例から住居内埋葬の可能性が考えられます。

昔の人びとは,自然を畏れ,敬い,恵みに感謝しながら生きていたことがわかります。
 
写真1 槙堀遺跡と霞ヶ浦(北西上空から)
写真2 弥生時代の住居跡から出土した壺
 

茨城県教育財団調査遺跡紹介展2012−見て,ふれて,楽しい考古学− (Inつくば市役所)を開催しました。

10月15日(月)〜19日(金),つくば市役所にて調査遺跡紹介展を開催しました。5日間で総数274人という多くの皆様にご来場いただき,ありがとうございました。上境旭台貝塚から出土したミミズク土偶のほか,島名熊の山遺跡から800点を超える数が出土した墨書土器など,つくば市にて当財団が行った発掘調査でした。今回展示した遺物を含め,さらに展示遺物を増やして,茨城空港や県立歴史館でも紹介展を行う予定です。詳細につきましては,当HPの「最新の情報」にて,随時ご案内いたします。たくさんの方々のご来場をお待ちしております。
 
写真1 注目が集まる土偶の展示
写真2 校外学習で来館した
つくば市の小学生
 

満倉北遺跡(みてぐらきたいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,常総市の中央部に位置し,鬼怒川右岸の標高22mほどの台地上に立地しています。調査区の立地する台地は南北に細長く延びており,東西の幅は800mほどと狭くなっています。

整理作業の結果,確認された住居跡2軒については,出土した土器から,いずれも奈良時代(8世紀前葉)のものであることが分かりました。当遺跡周辺の奈良時代の遺跡には,北側に宮原前遺跡や大生郷遺跡などがあります。宮原前遺跡は住居跡の規模や掘立柱建物跡の存在などから,地域の中心的な集落であったと位置づけられており,大生郷遺跡や当遺跡は,その周囲に広がっていた集落と考えられます。いずれも谷津を利用して農耕や漁労を行い,互いに交流をもちながら生活を営んでいたことが想像されます。
 
写真1 調査区全景(東上空から)
写真2 住居跡2軒から出土した土器
 

大学生が職業体験をしました。

9月3日から7日までの5日間,茨城県が主催する茨城県庁インターンシップ事業で,常磐大学の学生が職業体験に訪れました。遺物の接合や実測作業,写真撮影やトレース作業などの報告書作成にかかわる業務のほか,遺物の展示も体験されました。

「考古学にかかわる様々な経験ができ,充実した5日間を送ることができた。」とのうれしい感想をいただきました。
 
写真1 初めての土器実測にドキドキ
写真2 見る人の立場になって展示をしました
 

駒寄溜遺跡(こまよせだめいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,坂東市の中央部を南流する江川左岸から北東に延びる支谷に沿った標高15〜17mの台地縁辺部に立地しています。支谷は「富田の谷」と呼ばれ,調査区は谷に向かって緩やかに傾斜しています。

整理の結果,遺物包含層は縄文時代早期前半から後期後葉にかけて形成されたことが分かりました。また,時期が判断できる土器片のうち6割近くが縄文時代前期のものであることが明らかになりました。「富田の谷」と江川の合流付近には,談義所遺跡,長丁遺跡,内出遺跡,黒阿弥陀遺跡などがあり,これまでに縄文土器が採集されていましたが,谷沿いの奥でも当時の人々が生活していたことが新たに分かってきました。

遺跡は,調査区東側の台地上に広がると考えられ,縄文時代から移動や廃絶を繰り返しながら集落が断続的に営まれていたことが想定されます。今回確認した住居跡はその集落の外縁の一部にあたると考えられます。
 
写真1 調査区全景(南上空から)
写真2 コーナー竈から出土した遺物
 

天王原遺跡(てんのうはらいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,常総市の中央部に位置し,鬼怒川右岸の標高22mほどの台地縁辺部に立地しています。調査によって,縄文時代中期中葉の竪穴住居跡4軒を確認しました。周辺遺跡で確認された同時期の住居跡と,形態について比較してみたところ,当遺跡の住居跡は比較的規模が大きく,形状や柱の配置などの点で,やや新しい時期の住居構造であることがわかりました。また,出土している土器のなかには,西関東や中部地方を中心に出土している勝坂式土器が含まれていることがわかりました。

当遺跡は鬼怒川に東面し,西側にはかつて飯沼から延びる谷津が間近に迫っていました。当地は,そのような地理的条件から,移動も容易で,他の地域との交流がさかんな先進的地域だったのかもしれません。
 
写真1 調査区全景(南西上空から)
写真2 出土した勝坂式土器
 

高須賀中台東遺跡(たかすかなかだいひがしいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,つくば市の西部に位置し,小貝川左岸の標高20mほどの台地上に立地しています。調査区西部は小貝川に向かってやや落ち込み,南部には谷津が入り込んでいます。

整理作業の結果,縄文時代の住居跡6軒については,出土した土器の型式などから,いずれも前期(約5,000〜6,000年前)のものであることが分かりました。また,陥し穴5基については,楕円形の長軸が台地の斜面方向に直交するように配置されていて,動物を捕まえやすいように工夫されていることが分かりました。台地の地形や低地の水辺を巧みに利用しながら,狩猟や漁労などを行っていた縄文人の営みが想像されます。

今後は,古墳時代,その他の時代の整理作業を順次行っていきます。整理作業の進展により,当遺跡の性格をさらに明らかにすることができると思います。
 
写真1 調査区全景(南西上空から)
写真2 出土した縄文時代前期の 土器片と石鏃
 

県立中央青年の家主催事業の体験学習で,小学生が宮内遺跡と整理センター国田分館を訪れました。

 
宮内遺跡での調査体験の様子
8月7日の午後,中央青年の家主催事業『どきどき体験!〜縄文時代へタイムワープ〜』へ参加の小学生18人が坂東市宮内遺跡へ発掘体験に訪れました。当日は気温が30℃を超える大変暑い日でしたが,ミニ調査員となって楽しそうに古墳時代の住居跡を発掘されていました。土器を発見するたびに,「土器が出てきた!」「私に見せて!」などという元気な会話が飛び交っていました。   

約2時間の体験でしたが,最後まで時間を惜しんで発掘されていました。遺跡の関係者にあいさつして帰路につく姿は,達成感に満ちあふれていました。

整理センターでの整理作業体験の様子
8月8日には,前日の発掘体験に引き続き,整理センター国田分館へ整理作業の体験に訪れました。子ども達は,土器の接合,土器に模様をつける縄の作成,拓本採り,写真撮影などの体験を熱心に行っていました。接合体験では,いろいろな土器片を合わせては,接合する土器片が見つかるたびに大きな声で「見つかったー」と歓声を上げる様子も見られました。また,拓本採りの体験では,初めは要領を得なかった様子ですが,丁寧に根気よく作業を進め上手に採拓することができました。

整理センター国田分館は,事前にお申し込みをいただければ,展示室や整理作業の様子を見学できますので,たくさんの方のご来館をお待ちしています。

開 館 日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで
 
どんなものが見つかるのだろう
たくさん見つかるといいな
   
たくさんつくといいな
上手に採拓できるかな
 
宮内遺跡(みやうちいせき)
地図
http://www.mapion.co.jp/m/36.0606083333333_139.892963888889_8/

整理センター国田分館
地図 http://www.mapion.co.jp/m/36.4226091666667_140.43616_10/

 

行方市立手賀小学校 6年生の皆さんが見学にきました。

7月13日,手賀小学校の6年生20名が,社会科の校外学習で,整理センター国田分館に来館されました。

実際の整理作業を見学されたのち,土器の拓本採りや写真撮影などの作業を体験されました。時間に限りがあり,皆さんは名残惜しそうな様子でしたが,自分で採った拓本や写真など,たくさんのお土産を持ち帰ってもらうことができました。
 
写真1 拓本もきれいに採れました。
写真2 土器の撮影も体験しました。
 
事前に申し込んでいただければ,整理作業の見学や作業体験,図書の閲覧が可能です。たくさんの方のご来館をお待ちしております。

住  所:水戸市下国井町1661-2
電  話:029-239-6000
開 館 日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

地図URL:http://www.mapion.co.jp/m/36.4226091666667_140.43616_10/

希望される方は,当財団本部埋文企画管理課 
担当:酒井(TEL:029-225-6587)までお問い合わせ下さい。
 

古館明神脇遺跡(ふるだてみょうじんわきいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,つくば市の南西部に位置し,西谷田川と高岡川の合流点に向かって延びた細長い標高20mの舌状台地の東部に立地しています。

整理の結果,確認した住居跡15軒は,5世紀の中頃(古墳時代中期)に営まれていたことが分かりました。住居は,広場を中心として楕円形状に配置されており,計画的に建てられていました。また,大形の住居の近くに小形の住居があり,用途によって建物を使い分けていた可能性が考えられます。出土遺物には,県外から搬入された須恵器や県内でも出土例の少ない鉄鏃がみられ,貴重な品々を手に入れるだけの力を持った有力者がいたことが推測されます。
 
写真1 調査区全景(南上空から)
写真2 出土した土器
 

中根中谷津遺跡(なかねなかやついせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,つくば市の東部に位置し,桜川右岸の標高25mほどの舌状台地上に立地しています。調査区は,遺跡の南西部にあたり,西側に入り込んだ谷に向かう斜面部です。

調査によって,縄文時代後期(約3,500年前)の竪穴住居跡1軒と遺物包含層1か所を確認しました。遺物包含層からは25,000点(重量は約650?)を超える多量の土器が出土しました。遺物包含層は大きく上層と下層に分かれ,下層は人が埋めたことを示すロームブロック混じりの褐色の土で,台地上の集落と同じ時期の土器が6割を超えていました。一方,上層の黒褐色の土からは角がすり減った小さな土器片が多く出土していました。このことから,下層の土器は集落の人々が捨てたものが中心で,上層の土器は自然に流れ込んだものであることが分かりました。

谷の東対岸には,縄文時代後期後葉から晩期前葉(約3,000年前)の集落跡の上境旭台貝塚があります。両遺跡は,間にある谷の湧水などの恵みを受け,継続・発展した集落と言えるでしょう。
 
写真1 調査区全景(北西上空から)
写真2 遺物包含層から出土した
たくさんの 縄文土器
 

報告書が出来上がるまで

報告書作成では,発掘調査で記録した図面や写真を点検し,併せて出土した土器を分類します。次に,土器を接合・復元し,実測や拓本をとるなどの作業を行い,実測した図を特別なペンで清書します。その後,実測した土器は映像記録として残すために写真撮影も行います。また,発掘調査によって明らかになったことについて,文章で説明をします。

これらの作業によって記録した図や写真,文章をまとめて,一冊の報告書が出来上がります。
 
写真1 土器の接合
写真2 土器の復元
   
   
写真3 土器の実測
写真4 土器の撮影
 

上境作ノ内遺跡(かみざかいさくのうちいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,つくば市の東部に位置し,桜川右岸の標高23〜26mの台地上に立地しています。調査区は遺跡の南端部にあたり,桜川低地から延びる支谷に面した台地縁辺部に位置しています。

調査によって,縄文土器片を多く含む遺物包含層が確認できました。縄文土器片は分類の結果,前期前半のものが多いことがわかりました。また,包含層の上層からは,鉄鏃や中世以降の土師質土器も出土しています。このことから,調査区の北側に位置する台地部には,縄文時代前期から集落が断続的に営まれていたことが想定できます。その集落の遺物が,谷部に向かって流れ込み,遺物包含層が形成されたと考えられます。
 
写真1 調査区全景(南上空から)
写真2 包含層から出土した鉄鏃
 

水戸市立国田小学校 6年生の国田分館見学

5月23日,国田小学校の6年生が社会科学習のために整理センター国田分館の見学に訪れました。

土器を接合したり,実測したりしている様子を真剣に見学していました。また,縄文時代,弥生時代,古墳時代の土器の説明を受け,熱心にメモを取ったり,土器に触ったりして昔の人々の生活に思いをよせていました。

 
写真1 熱心にメモをしています。
写真2 昔の人の生活を思いながら
説明を 聞いています。
 
事前に申し込んでいただければ,整理作業の見学,図書の閲覧が可能です。たくさんの方のご来館をお待ちしております。

住所:水戸市下国井町1661-2
電話:029-239-6000
開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

地図URL:http://www.mapion.co.jp/m/36.4226091666667_140.43616_10/                              
希望される方は,当財団本部埋文企画管理課 担当:酒井(TEL:029-225-6587)までお問い合わせ下さい。
 

水戸市立国田小学校 3年生の国田分館見学

先日,国田小学校の3年生が社会科見学のために整理センター国田分館を訪れました。 屋上で学校の周りの様子について学習した後,たくさんの土器を整理・分類している様子をみて「すごい。」,「こんなにたくさん見つかるんだ。」と驚きの声を上げていました。また,展示室に展示してある遺物を見学したり,体験コーナーでパズルに夢中になったりと,楽しく見学していきました。 事前に申し込んでいただければ,整理作業の見学,図書の閲覧が可能です。たくさんの方のご来館をお待ちしております。

住所:水戸市下国井町1661-2
電話:029-239-6000
開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

地図URL:http://www.mapion.co.jp/m/36.4226091666667_140.43616_10/                              
希望される方は,当財団本部埋文企画管理課 担当:酒井(TEL:029-225-6587)までお問い合わせ下さい。
 
写真1 真剣に土器を見ています。
写真2 夢中でパズルをしています。
 

整理センター国田分館の開館のお知らせ

整理センターでは,発掘調査で記録した図面の整理や出土した土器の接合・復元・実測などの作業を行って,報告書を作成しています。

本年度は,常陸太田市日向遺跡,小美玉市宮田館跡,石岡市槇堀遺跡,つくば市高須賀中台東遺跡・古館明神脇遺跡・中根中谷津遺跡・上境旭台貝塚・上境作ノ内遺跡・島名熊の山遺跡,阿見町赤太郎遺跡,美浦村木原城址,潮来市坊内遺跡・貝塚古墳群,坂東市然山西遺跡・駒寄溜遺跡,常総市天王原遺跡・満倉北遺跡,結城市作野谷南遺跡の10市町村の18遺跡を整理する予定です。

現在,展示室では日向遺跡や島名熊の山遺跡の古墳時代から平安時代の土器を展示し,体験コーナーも併設しております。

事前に申し込んでいただければ,整理作業の見学,書類の閲覧が可能です。昨年度は子どもたちを対象にした体験活動も実施し,大変好評でした。たくさんの方のご来館をお待ちしております。

住所:水戸市下国井町1661-2
電話:029-239-6000
開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

地図URL:http://www.mapion.co.jp/m/36.4226091666667_140.43616_10/                              
なお,整理センター見和では報告書などの図書の閲覧が可能です。希望される方は,当財団本部埋文企画管理課 担当:酒井(TEL:029-225-6587)までお問い合わせ下さい。
 
写真1 開室した展示室
写真2 体験コーナーのパズル
 

 
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