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埋蔵文化財整理センター[ご案内マップ]

〒311-4325 茨城県東茨城郡城里町北方1481(茨城県埋蔵文化財センター いせきぴあ茨城 内)
TEL:029-289-2002
FAX:029-289-2008
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188 628 006*40
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。
 
 

今月の逸品(2021.1):米田水塚群(よねだみづかぐん)第1号塚出土の近現代の遺物


米田水塚群第1号塚は,取手市の北東部を流れる北浦川右岸の標高約3mの沖積低地に位置する江戸時代の防災遺構です。市域は利根川と小貝川に囲まれており,水塚は,江戸時代に河川の氾濫によって引き起こる家屋への浸水被害を防ぐため,敷地内に小高く土を盛って塚を築き,蔵などを建てることによって,洪水時に家財道具や穀物などを守る施設です。
今回ご紹介するのは,江戸時代後期から明治時代初期の陶磁器などです。第1号水塚と礎石建物跡から出土しました。陶磁器を見てみると,主に生活雑器で,瀬戸・美濃系や肥前系の碗や皿などです。また,三つ巴で連珠を型取った軒丸瓦や根石に転用された石臼,丘部が摩耗した硯なども出土しています。当水塚群の脇には旧水戸街道が通り,当時から取手宿と藤代宿を行き来する交通の要衝として物流が盛んに行われていたことがうかがい知れます。
 
第1号水塚から出土した遺物 第1〜3号礎石建物跡から出土した遺物
 

今月の逸品(2020.12):下大賀(しもおおが)遺跡出土の墨書土器


下大賀遺跡は,那珂市の北部,玉川と久慈川が合流する地点から西へ約2qに位置し,玉川右岸の標高約43mの台地上に立地する奈良・平安時代を中心とする集落跡です。平成25年から令和元年にかけて発掘調査を実施しました。
今回ご紹介するのは,奈良・平安時代の集落から出土した遺物です。土師器の坏は内黒で,ヘラ磨きを施したものが多く出土しています。また,土師器や須恵器の坏や皿等の供膳具に墨書きされた墨書土器やヘラ記号が刻まれた土器が,竪穴建物跡から86点出土しています。「永」の墨書や「十」のヘラ記号などは,8世紀から10世紀にかけて共通して使用された文字です。そのほかに「富」や「万」などの吉祥句や「東」などの方位や場所,記号の意味を含めた文字などが書かれています。これらは地域の集落の様相の存在を考察する上で,貴重な資料になると考えられます。
 
奈良・平安時代の竪穴建物跡から出土した内黒の土師器 奈良・平安時代の竪穴建物跡から出土した墨書土器
 

今月の逸品(2020.10):館野(たての)遺跡出土の縄文土器


今回ご紹介するのは,縄文時代早期と中期の縄文土器です。早期の縄文土器は遺物包含層から出土しました。この時期の遺構はほとんど発見されておらず,集落の様相がわかっていません。土器を見てみると,口唇部にキザミ目が施され,内削ぎを意識しています。体部は貝殻腹縁による鋸歯状の文様を施しており,底部が尖底になっている「三戸式土器」(神奈川県三浦市三戸遺跡出土土器を標式とする)と呼ばれる土器で,縄文時代早期後半に位置付けられています。
また,中期の縄文土器は袋状土坑から出土しました。口縁部と胴部には隆帯による区画が施され,区画の内側には縄文と押引き文や沈線文が施されています。これは「阿玉台式土器」(千葉県香取市阿玉台貝塚出土土器を標式とする)と呼ばれる土器で,縄文時代中期中葉に位置付けられています。
 
縄文時代早期の深鉢 縄文時代中期の深鉢
 

今月の逸品(2020.10):大高台(おおたかだい)遺跡出土の室町から江戸時代の遺物


今回ご紹介するのは,室町から江戸時代の遺物です。当時の高級品である中国産の輸入磁器や天目茶碗,志野向付等の施釉陶器,棹秤のおもりである権,装飾が施された大型の火鉢,龍頭をかたどった把手など,一般的な集落遺跡からは出土しない貴重な遺物が多く出土しました。当地は嘉元元年(1303年)に僧日弁によって開山された法華宗妙法寺が存在したとの伝承があり,「日弁」をはじめ,「□蓮」「蓮上」「妙」「法」等の仏教的様相を示す文字や,「十六日」,「廿六」といった日付と考えられる文字が墨書された土師質土器小皿が数多く出土しています。このことから,今回確認された遺構群は,妙法寺を構成する施設の一部である可能性があります。「日弁」と書かれた土器は,日弁の亡くなった時期よりも新しいことから,その後の追善供養などに用いられた土器と考えられます。
 
「日弁」と墨書された土師質土器の小皿 室町から江戸時代にかけての遺物
 

今月の逸品と珍品(2020.10):上境旭台貝塚から出土したイヌの骨と車?


上境旭台貝塚は,つくば市の東部に位置し,標高16〜27mの台地上から低地部にかけて立地する縄文時代後・晩期の集落跡です。平成27〜29年の台地部の発掘調査では,竪穴建物跡6棟,土坑1298基,斜面貝層2か所などを確認しました。
今回ご紹介するのは,縄文時代後期の第1293号土坑から出土したイヌの骨です。1個体分の全身の骨が確認できることから,埋葬された可能性があります。また,右大腿骨には骨折の治癒痕があり,大ケガをした後も集落内で飼育されたことが分かります。
もう1点は,縄文土器深鉢の口縁部の破片を逆さまにしたものです。1000箱を超える遺物コンテナの整理作業の中で出会った珍品です。
 
骨折の治癒跡(▲)があるイヌの骨 縄文土器深鉢の口縁部(天地逆)
 

今月の逸品(2020.10):熊ノ平古墳群出土のミニチュア土器


熊ノ平古墳群は,行方市の北部に位置し,武田川右岸の尾根上に延びる標高約34mの台地上に立地する縄文・古墳・奈良・平安時代の集落跡です。平成30・31年に発掘調査を実施し,竪穴住居跡や掘立柱建物跡などの遺構を確認しました。
今回ご紹介するのは,古墳時代後期のミニチュア土器です。古墳時代の竪穴住居跡に大量の土器が棄てられており,その中に普通の半分以下の大きさの土器が出土しました。ミニチュア土器と呼ばれるこれらの土器は,高さ3pしかない小さなものや,本物の土器にそっくりなものなど,形は様々です。これらのミニチュア土器の半分は,竈の脇から出土しています。この竪穴住居跡からは,土製勾玉も出土していることを考えると,住居を壊して埋める時にお祭り事を行ったのでしょう。
 
様々な形のミニチュア土器(左手前4点) 竪穴住居から出土した土製勾玉
 

今月の逸品(2020.8):上境滝の台(かみざかいたきのだい)古墳群・上境作ノ内(かみざかいさくのうち)古墳群出土のガラス小玉


上境滝の台古墳群・上境作ノ内古墳群は,つくば市の東部,桜川右岸に位置し,標高26〜28mの台地縁辺部に立地する旧石器時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。平成30年に発掘調査を実施し,上境滝の台古墳群で1基,上境作ノ内古墳群で4基の古墳を確認しました。
7月から整理作業がスタートし,現在,遺物抽出・接合作業と並行しながら遺物実測作業を行っています。上境滝の台古墳群の第3号墳(前方後円墳)から118点,上境作ノ内古墳群の第9号墳(帆立貝形古墳)から22点のガラス小玉が出土しています。第3号墳から出土している118点は,径約3mm厚さ約2mm,孔径約1mmと小さく,細かい気泡や表面が荒い,突起状の溶け残りなどが観察でき,鋳型にガラスの粉末を入れ,高温で溶かし作成されたと考えられます。第9号墳から出土している22点は,径約7mm,厚さ約5mm,孔径約2mmと,第3号墳のものよりも大きく,気泡が孔と平行に伸び,表面は比較的滑らかなことが観察でき,中空のガラス管を細かく裁断する「管切り法」で作成されたものと考えられます。
 
出土したガラス小玉(一部) 切り法の特徴として見られる縦に白く伸びる気泡
   
 
鋳造の特徴として見られる突起状の溶け残り  
 

今月の逸品(2020.7)金田西坪B(こんだにしつぼびー)遺跡出土の縄文土器


金田西坪B遺跡は,つくば市の東部,桜川右岸に位置し,標高25mの台地平坦部に立地する縄文時代から平安時代にかけての集落跡と奈良時代から平安時代の官衙関連施設跡です。平成28年から30年にかけて発掘調査を実施し,現在整理作業を行っています。
今回ご紹介するのは,縄文時代中期の遺構と遺物です。当遺跡では,縄文時代中期にみられるフラスコ状土坑を9基確認しました。その多くが開口部の径が2m前後,最大径は2.5m前後,深さ0.5m前後にもなる大規模なものです。これらは袋状に内彎しており,当時の貯蔵穴と考えられます。遺物としては千葉県香取市の阿玉台貝塚と千葉市加曽利貝塚の出土土器を標式とする「阿玉台式土器」や「加曽利E式土器」のほか,神奈川県相模原市の勝坂遺跡の出土土器を標式とする「勝坂式土器」なども出土しました。これらは,当時の人々の交流をうかがうことができる逸品です。
 
土器の接合作業 復元された縄文土器
 

今月の逸品(2020.7)牛頭座南(ごとうざみなみ)遺跡出土の縄文土器


牛頭座南遺跡は阿見町の南部に位置し,桂川右岸の標高約25mの台地上に立地する縄文時代を中心とする集落跡です。平成29年度及び平成31年度・令和元年度に発掘調査を実施し,縄文時代中期後半から後期初頭の竪穴建物跡や土坑,炉跡を確認しました。
今回ご紹介するのは,縄文時代中期後半の「加曽利E式」土器です。関東地方を中心して分布する土器型式で,口縁部に渦巻文などの文様が施される系統のものです。当遺跡から出土した土器は,加曽利E式の中でも新しく,今から約4500年前の「加曽利EW式」のものが中心で,短期間に営まれた集落跡と考えられます。また,第1号竪穴建物跡からは土器を囲って炉として使用した土器埋設炉があり,当時の生活状況などを窺うことができます。
 
縄文時代の竪穴建物跡の遺物出土状況 縄文時代中期後半の縄文土器
 

今月の逸品(2020.6)下大賀(しもおおが)遺跡出土の墨書土器


下大賀遺跡は那珂市の北部,玉川右岸の標高約43mの台地上に立地しています。平成25年から令和元年にかけて発掘調査を実施し,奈良・平安時代の竪穴建物跡や掘立柱建物跡,溝跡などを確認しました。
今回ご紹介するのは,竪穴建物跡から多数出土している平安時代の墨書土器です。第217号竪穴建物跡からは,坏や皿の外面や底部に墨書された土器が7点出土しています。「永富来」などのいわゆる吉祥文字が多く確認できました。これらの土器は, 集落の性格や特徴を知る有効な手がかりとなります。
 
平安時代の竪穴建物跡(第217号)の遺物出土状況
 
 
  第217号竪穴建物跡から出土した墨書土器
 

今月の逸品(2020.6)大高台(おおたかだい)遺跡出土の弥生土器


大高台遺跡は高萩市の北東部に位置し,標高約45mの台地上に立地する弥生時代から平安時代にかけての集落跡と室町時代から江戸時代にかけての寺院跡です。平成31年から令和元年にかけて発掘調査を実施し,竪穴建物跡や掘立柱建物跡,道路跡などの遺構を確認しました。  
今回ご紹介するのは,弥生時代中期の遺構と遺物です。県内ではこの時期の建物跡はほとんど発見されておらず,集落の様相がわかっていません。隣の福島県では,当遺跡で確認した竪穴建物跡と似たものが複数確認されています。  
出土土器を見てみると,胴部に渦巻文が施された壺や,細縄文が施された甕が出土しており,これらの土器は,北茨城市中郷町足洗遺跡から出土した一括資料を標識とした「足洗式土器」と呼ばれる土器で,弥生時代中期後半に位置付けられています。足洗式土器は南東北地方の影響を受けており,県北地域の弥生文化は,北から南に伝播していることがわかります。
 
竪穴建物跡の遺物出土状況 弥生時代中期の壺(左)と甕(右)
 

令和2年度の整理遺跡


当センターでは,発掘調査で確認した住居跡などの図面や写真の整理作業,出土した土器などの接合・復元・実測作業などを行い,遺跡の報告書を作成します。
今年度は,
潮来市の一本椎遺跡,
行方市の熊ノ平古墳群,
かすみがうら市の姥久保遺跡,
つくば市の上境旭台貝塚・金田西坪B遺跡・上境滝の台古墳群・上境作ノ内遺跡・上境作ノ内古墳群・島名本田遺跡,
小美玉市の館野遺跡・並木新田台北遺跡,
那珂市の下大賀遺跡,
高萩市の大高台遺跡・北久保B遺跡,
取手市の米田水塚群,阿見町の牛頭座南遺跡
計9市町村の16遺跡について,整理作業を開始しました。
 
 
埋蔵文化財整理センター
(後ろの森には頓化原古墳があります)
 
 

 
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