古墳時代にはいると,各地の豪族は大和王権との結びつきを強め,その証(あかし)として古墳を作るようになりました。桜山古墳は稲敷(いなしき)台地と,その南に広がる低地を支配した人物の墓と考えられています。古墳の大きさは全長が70mを越え,それまでのお墓よりも規模がかなり大きくなりました。多くの人々が一人のお墓のために働いており,埋葬(まいそう)された人物の権力の大きさがしのばれます。