戸籍(こせき)や具注暦(ぐちゅうれき)など多数の漆紙文書(うるしがみもんじょ)が出土したことから「地下の正倉院」とよばれ,その具体的な職務内容が明らかになった遺跡です。多数の鍛冶工房跡(かじこうぼうあと)をはじめ掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)や連房式竪穴遺構(れんぼうしきたてあないこう)などが確認され,鉄製の武器・武具,鉄滓(てっさい)などが多量に出土しました。奈良時代終わりころ,蝦夷征討(えぞせいとう)で使う武器・武具類の製造・修理を行うために,常陸国衙(こくが)に付属して急きょ設けられた官営の工房跡です。
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