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●村松白根遺跡
(むらまつしらね) |
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遺跡名
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村松白根(むらまつしらね)遺跡 |
所在地
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那珂郡東海村村松白根(なかぐんとうかいむらむらまつしらね) |
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●遺跡の紹介
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室町時代後半から江戸時代初め頃の大がかりな塩作りの跡が見つかりました。建物跡(人々が住んでいたところ),畝状遺構(うねじょういこう:作物を作っていたところ),墓跡なども見つかっています。建物跡などからは,当時の人たちが使っていたと思われる陶磁器(小皿や碗),鉄製品(小刀など)も見つかっていることから,塩作りにかかわった人たちが生活していたところと考えられます。
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村松白根遺跡を上空から見た様子 |
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●村松白根遺跡 |
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書名ふりがな |
むらまつしらねいせきいち |
書名 |
村松白根遺跡1 |
副書名かな |
だいきょうどようしかそくきしせつじぎょうにともなうまいぞうぶんかざいちょうさほうこくしょ |
副書名 |
大強度陽子加速器施設事業に伴う埋蔵文化財調査報告書 |
巻次 |
1 |
シリーズ名 |
茨城県教育財団文化財調査報告 |
シリーズ番号 |
250 |
編著者名 |
芳賀友博/寺内久永 |
編集・発行機関 |
財団法人茨城県教育財団 |
郵便番号 |
310-0911 |
所在地 |
茨城県水戸市見和1丁目356番地の2 |
電話番号 |
029-225-6587 |
発行年月日 |
20050325 |
遺跡番号 |
08341-174 |
遺跡名かな |
むらまつしらねいせき |
遺跡名 |
村松白根遺跡 |
遺跡所在地かな |
いばらきけんなかぐんとうかいむらむらまつしらね |
遺跡所在地 |
茨城県那珂郡東海村村松白根146番地の25ほか |
遺跡北緯度 |
36度26分58秒 |
遺跡東経度 |
140度36分07秒 |
遺跡標高 |
4〜10m |
調査期間 |
20030401-20040331 |
調査面積 |
32060㎡ |
調査原因 |
大強度陽子加速器施設事業に伴う事前調査 |
種別 |
製塩跡/集落跡 |
時代 |
中世 |
遺構と遺物 |
中世 |
塩屋跡21軒,鹹水槽195基,土樋2条,製塩跡に組み込まれない鹹水槽109基,土坑3基,建物跡38軒,整地面33か所,畝状遺構1か所,土壙墓109基,土壙7基,土坑732基,溝跡3条,貝集積地47か所,集石6か所,遺物集中地点1か所,埋納遺構1か所,ピット群1か所,不明遺構14か所/土師質土器(皿・内耳鍋・香炉),陶磁器(甕・灰釉丸皿・折縁皿・擂鉢・青磁碗・白磁碗・染付皿・天目茶碗),金属製品(火打金・釘・耳金・吊金具・小刀・笄・鉄鍋),古銭(枝銭を含む),石製品(五輪塔・宝篋印塔・硯),石器(石臼・茶臼・石鍋・火打石),砥石,骨角製品(笄・サイコロ),人骨,獣骨 |
特記事項 |
中世後半以降の大規模な製塩跡を中心とする生産遺跡である。それに伴うと考えられる建物跡,畝状遺構,墓跡等を確認した。また,土師質土器,中国製碗・皿,古瀬戸などの陶磁器のほか1,700枚を越える古銭や枝銭も出土しており,製塩と集落の様相を明らかにするための貴重な資料といえる。また,永樂銭の枝銭は本邦初の出土である。 |
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村松白根遺跡1 遠景
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村松白根遺跡1 第5号釜屋跡完掘状況
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●村松白根遺跡 |
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書名ふりがな |
むらまつしらねいせき に |
書名 |
村松白根遺跡2 |
副書名かな |
だいきょうどようしかそくきしせつじぎょうにともなうまいぞうぶんかざいちょうさほうこくしょ |
副書名 |
大強度陽子加速器施設事業に伴う埋蔵文化財調査報告書 |
巻次 |
2 |
シリーズ名 |
茨城県教育財団文化財調査報告 |
シリーズ番号 |
284 |
編著者名 |
皆川 修/井上琢哉 |
編集・発行機関 |
財団法人茨城県教育財団 |
郵便番号 |
310-0911 |
所在地 |
茨城県水戸市見和1丁目356番地の2 |
電話番号 |
029-225-6587 |
発行年月日 |
20070323 |
遺跡番号 |
8341-174 |
遺跡名かな |
むらまつしらねいせき |
遺跡名 |
村松白根遺跡 |
遺跡所在地かな |
いばらきけんなかぐんとうかいむらむらまつしらね |
遺跡所在地 |
茨城県那珂郡東海村村松白根146番地の25ほか |
遺跡北緯度 |
36度26分58秒 |
遺跡東経度 |
140度36分07秒 |
遺跡標高 |
3〜10m |
調査期間 |
20030401-20040831 |
調査面積 |
63110㎡ |
調査原因 |
大強度陽子加速器施設事業に伴う事前調査 |
種別 |
集落跡/墓域 |
時代 |
中・近世 |
遺構と遺物 |
中・近世 |
土手状遺構3か所,建物跡60件,整地面68か所,井戸跡3基,畝状遺構2か所,炉跡99基,竈1基,粘土貼土坑226基,土坑742基,溝跡1条,流路跡1条,貝集積地31か所,集石1か所,道路跡1条,ピット群23か所,区画状遺構3か所,不明遺構3か所,土壙墓57基,土壙10基/土師質土器(小皿・皿・内耳鍋・焙烙・香炉),陶磁器(皿・丸皿・折縁皿・稜皿・鉄絵皿・染付皿・天目茶碗・擂鉢・甕),土製品(管状土錘・土錘・土鈴・面),木製品(木杭・横板),金属製品(小刀・小柄・鎌・釿・包丁・火打金・釘・耳金・吊金具・鍵・釣針・鉄鍋・笄・毛抜・煙管・切羽)古銭,石製品(硯),石器(石臼・石鉢・火打石・砥石),骨角製品(笄・サイコロ)人骨,獣骨 |
要約 |
中世後半から近世初頭にかけての大規模な製塩跡に関連する集落跡と墓域を確認した。建物跡には,南東側に広場をもつL字状の曲屋が3軒並んで見つかり,当時の住居形態を知る上で重要である。また土師質土器,瀬戸・美濃系や肥前系の国内陶器,中国製の碗・皿類の磁器のほか400枚を超える古銭が出土しており,製塩と集落の様相を明らかにするための貴重な資料といえる。 |
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