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●境事務所 |
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〒306-0413 猿島郡境町大字西泉田1234-13番地
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TEL 0280-84-3631
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遺跡名
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調査期間
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主な遺構
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主な遺物
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西泉田伏木遺跡 |
平成24年4月〜7月 |
旧石器,縄文,室町,江戸 |
土塁,溝跡,土坑,ピット群 |
縄文土器,石器,土師質土器,瓦質土器,陶器,磁器
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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●西泉田伏木遺跡(にしいずみだふせぎいせき)[ご案内マップ]
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境町の東部に位置する当遺跡では,表土除去作業や遺構確認も終了し,いよいよ遺構の調査に入りました。調査区内を南北に縦走する土塁は,幅約5m,旧地表面からの高さ約1mで,約25mの間隔をあけて2条あることがわかりました。西側の土塁は両側に溝を伴っており,溝の掘削土(くっさくど)を積み上げて土塁を構築していたものと考えられます。土塁の性格については,文献資料や古地図,地域の方々からの聞き取り調査もあわせて検討すると,字(あざ)や村境の区画と考えられます。『境町史』によると,近世以降の当地域は平地林が広がり,農民の生活に必要不可欠であった林野の利用権の保全と拡大を巡る論争が江戸時代の寛永年間(1624〜1645年)からたびたびみられました。このようなことから、村や字(あざ)の境を明確に区画することは,大変重要な意味を持っていたようです。
また,土塁に先行する時期では,中世の生活面から武蔵型(むさしがた)板碑(いたび)が出土し,溝跡の上面からは北宋(ほくそう)銭(せん)の「大観(たいかん)通宝(つうほう)」(1107年初(しょ)鋳(ちゅう))が出土しました。ローム層上面からは,木葉形尖頭器(このはがたせんとうき),黒曜石(こくようせき)やチャートの剥片(はくへん)が出土しており,旧石器時代から近世に至るまで,断続的に生活していた様子が明らかになりました。
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調査区を縦走する土塁
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中世の生活面から出土した武蔵型板碑
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当遺跡は,境町の東部に位置しています。利根川の低地から樹枝状に発達した,鵠戸川(くぐいどがわ)が南流する低地に面した標高約16mの台地上に立地しています。一般国道468号首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の新設工事に伴い,平成24年4月から調査を開始しました。
『境町史』によると,現状の残存状況や聞き取り調査から,境町の中央部を南北に縦走する土塁の存在が指摘されています。近年の開発等により多くの部分が削平されているものの,現在でもその一部を確認することができます。今回の調査区でもこの土塁を確認したことから,その性格や形成過程を明らかにすることを目的として調査にあたっています。
現在は,周辺を精査して土塁の現況図面を作成したり,トレンチ調査によって土塁の堆積状況を確認する作業をしています。調査区の西側で確認できた土塁は,暗褐色土を旧地表面から1mほどの高さに積み上げて作られていました。遺物がほとんど出土していないため,明確な時期を決定するのは難しいのですが,降下火山灰層が確認できることから土塁の時期をさらに限定できたらと考えています。
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土塁の現況を確認中
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土塁の堆積状況を作図するスタッフ
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