www.ibaraki-maibun.org 発掘情報いばらき
発掘遺跡・整理遺跡
情報最前線
概要
発掘遺跡・整理遺跡
これまでの発掘・整理遺跡
小中学生のためのやさしい考古学講座
報告書のご案内
リンク集
HOME
E-mail

那珂事務所

〒319-2102  那珂市瓜連1463-1番地

TEL・FAX 029-296-0545

 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
下大賀遺跡 平成24年9月〜12月 平安時代,中世 溝跡,道路跡,土坑,ピット群

土師器,須恵器,陶器

*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

下大賀遺跡(しもおおがいせき) [ご案内マップ]


調査が終了しました

今回は,11月までに調査した部分から,さらに240mほど北側を追加調査しました。その結果,竪穴住居跡7軒(古墳1,奈良2,平安4)を確認することができました。11月までの調査結果を含めると,時期が下るにつれて集落が台地の内部へと広がっていった様子をうかがえます。 11月までの調査においては,有力者の存在をうかがわせる遺物が出土しましたが,それらを直接結び付ける遺構は確認できませんでした。今回の調査でも特定することはできず,今後の課題として残りました。

 
奈良時代の住居跡の竃から出土した土器
住居跡を掘り込んでいる様子
   
 

平成24年11月の調査状況

9月から始まった調査も3か月が過ぎました。これまでに竪穴住居跡5軒,掘立柱建物跡3棟,井戸跡1基,溝跡8条,道路跡1条,陥し穴1基,火葬施設1基,土坑20基,ピット群4か所を調査しました。5軒の住居跡はいずれも平安時代(9世紀代)と考えられ,その内3軒が東側に竈が備え付けられていました。住居跡からは土師器や須恵器などの土器が出土し,それらの中には墨で「廣得」「馬長」「馬」などの文字が書かれていたものがありました。また,灰?陶器や緑釉陶器,鉄製の紡錘車なども出土しています。当時,この辺りは久慈郡の倭文郷(しどりごう)に属していました。郷名の由来については『常陸国風土記』に,「この村で初めて綾を織ったので静織(しどり)の里と呼ばれるようになった。」と記載されています。

調査区の南端からは東西に延びる薬研状に掘られた溝跡と道路跡を確認しました。溝と道路の位置関係から,溝を掘った土は南側に掻き上げられていたと考えられ,溝の北側の縁を当時の人々が歩いていたと考えられます。さらに,この溝跡と道路跡は現在の地割りに沿っており,古代の溝跡や道路跡が現在の地割りに影響していることが分かりました。

溝跡と道路跡の北側には直径2.5mほど,深さ3.5mほどの第1号井戸跡を確認しました。調査の結果,深さ2mほどまで方形に掘り,その下部は小さな円筒状に掘っていたことが分かりました。また,上部には井戸枠を設置していたと考えられ,裏込めの土も確認できました。井戸の底からは9世紀中頃の須恵器の甕が出土しています。井戸の周囲には径が25〜30?ほどのピットが8か所見つかっており,今後,上屋構造を考える際に参考になると思われます。

井戸跡の北側約120mほどには東西に延びる溝跡を確認しました。平安時代の住居跡はこの溝の北側で確認されており,溝の南側で住居跡は確認できなかったことから,溝は区画溝と考えられます。

調査は12月下旬まで行う予定です。

 
掘り上がった第1号井戸跡
東西に延びる区画溝
   
住居跡から出土した鉄製紡錘車
掘り上がった住居跡
 

平成24年9月の調査状況

9月から,下大賀遺跡の調査を開始しました。当遺跡は那珂市の北部に位置し,久慈川右岸の標高44mの台地上に立地しています。遺跡は東西約2.3?,南北1?にわたって広がっており,当遺跡の東1kmには瓜連城跡,西2kmには常陸二の宮である静神社があります。今回の調査区は遺跡の南東部にあたり,国道118号に沿って南北に位置しています。

現在は表土除去と遺構確認作業が中心で,これまでに確認した遺構は溝跡や道路跡,土坑などです。詳しい時代はまだ明らかではありませんが,今後の調査で時期や性格を明らかにしていく予定です。  

調査は12月下旬まで行います。調査の状況については,次回お知らせします。

 
遺構確認作業
遺構確認状況
 

 
もどる
上へ
©2002 Ibaraki education foundation. All rights reserved.