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常陸太田事務所

 

瑞龍遺跡(ずいりゅういせき 08212-022) [ご案内マップ]

所在地 茨城県常陸太田市瑞龍町629番地ほか
立地 常陸太田市の南東部,里川右岸の標高約42mの台地縁辺部
調査原因 一般国道293号常陸太田東バイパス整備事業
委託者 茨城県常陸太田工事事務所
調査期間 2014年4月1日〜9月30日
調査面積 4,098㎡
種類 集落跡・墓跡
主な時代 縄文時代・弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代・室町時代・江戸時代
主な遺構 竪穴建物跡38棟・掘立柱建物跡15棟・道路跡1条・溝跡7条・粘土貼土坑12基・墓坑2基・土坑357基・ピット群6か所
主な遺物 縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器・土製品(紡錘車・土人形)・石器(砥石・支脚)・石製品(有孔円板)・金属製品(鎹)
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の状況

昨年度に引き続き,瑞龍遺跡の調査を4月から行なっています。昨年度の調査で,当遺跡は奈良・平安時代を中心に栄えた大規模な集落であったことが分かりました。4月からの2か月間で竪穴建物跡13棟,掘立柱建物跡2棟,土坑約20基を調査しました。当遺跡の竪穴建物跡の竈は,袖部の補強のために凝灰岩を使用していたり,甕を置くための支脚が二つ備え付けられていたり,竈の煙道部が長く掘られていたりなどの特徴が見られます。また,平安時代の倉庫と考えられる総柱の掘立柱建物跡を調査しており,周辺の竪穴建物跡との関連を解明できればと考えております。今年度の調査でも,黒色土の下にどのような遺構や遺物が埋まっているのか,とても楽しみであり,当地域の更なる歴史解明の一端を担えればと思います。
 
煙道部が長い奈良時代の煮炊きの施設(竈) 柱穴の跡が規則的に並ぶ平安時代の建物跡
 

調査の成果

瑞龍遺跡の調査が終了しました。今回の調査で,当遺跡は縄文時代から江戸時代までの長きにわたり,人々の生活が断続的に続いていたことが分かりました。古墳時代前期の竪穴建物跡からは,お供えをするための土器が数多く出土し,なかには底面が焼け内面に煤が付いている土器も見られました。住居の廃絶時に何らかの祭祀行為をしていた可能性が考えられます。また,平安時代の掘立柱建物跡は,狭い区域で建て替えを繰り返していたことを確認しました。掘立柱建物跡を囲むように竪穴建物跡が位置していることから,居住域と収蔵域に区別されており、久慈郡太田郷の中心的な集落であったと考えられます。
 
南上空から見た瑞龍遺跡 同じ場所に建て替えが見られる平安時代の掘立柱建物群
 

 
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