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●常総東事務所 |
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●築地遺跡(ついじいせき 08211-020)
[ご案内マップ]
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所在地 |
茨城県常総市大輪町字築地754-1ほか |
立地 |
常総市の中央部,鬼怒川右岸の標高20mの台地縁辺部 |
調査原因 |
一般国道468号首都圏中央連絡自動車道事業 |
委託者 |
国土交通省関東地方整備局常総国道事務所 |
調査期間 |
2014年4月1日~10月31日 |
調査面積 |
2,908㎡ |
種類 |
集落跡 |
主な時代 |
縄文時代,室町時代 |
主な遺構 |
竪穴建物跡49棟,掘立柱建物跡1棟,焼土跡5か所,溝跡4条,地下式坑7基,陥し穴2基,粘土貼土坑2基,粘土採掘坑1基,土坑258基,ピット群14か所,遺物包含層2か所 |
主な遺物 |
縄文土器,土製品,石器・石製品,骨角器 |
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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4月から始まった築地遺跡の調査が終了しました。調査の結果,縄文時代中期から晩期の集落跡と,室町時代の溝跡や地下式坑などを確認しました。縄文時代の竪穴建物跡は,遺物包含層中で後期後半から晩期前半のものが,遺物包含層下のローム面で中期後半から後期前半のものが確認できました。後期後半の竪穴建物跡では,床面を覆うように焼土が確認できるものが多く,焼失住居の可能性とともに,焼土を貼床にした建物跡の可能性も考えられます。深さが約1.5mの円筒形の土坑からは,完形の深鉢が多く出土しました。また,遺跡のほぼ全面を覆う遺物包含層は,斜面部では厚さ1m以上にもおよび,土器や土製品などの多量の遺物が出土しました。出土遺物の総量は,コンテナ700箱になり,当遺跡の遺構・遺物の様相は,縄文時代後晩期の集落跡を考えていく上で貴重な成果となりました。 |
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上空から見た築地遺跡A区。たくさんの建物跡や土坑が確認できました。 |
土坑から出土した縄文土器の深鉢。 |
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4月から築地遺跡の調査を始めました。築地遺跡は,鬼怒川から延びる谷津に北面する縄文時代後期から晩期の集落跡で,多くの土器類が出土することで戦前から知られている著名な遺跡です。昭和40年代には,慶応義塾高校が今回の調査地点の南側を発掘調査し,縄文時代後期・晩期の土器や石器などが出土しています。今回の調査では,まず多量の遺物を包含する遺物包含層の掘り下げを行っています。遺物包含層は,厚さが約30~50cmで,北側の斜面部では約70cmの厚さがあります。まだ掘り下げを開始したばかりですが,すでにコンテナ50箱分の土器片や石器,土偶や完形の耳飾りなどが出土しました。遺物包含層の下からは縄文時代中期や後期後半から晩期中葉の建物跡や土坑などが多数確認でき,今後の調査が期待されます。 |
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調査前の築地遺跡。
谷津に面する台地上や斜面部に多くの遺構や遺物包含層が形成されています。 |
完形で出土した縄文時代の耳飾り |
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●宮原前遺跡(みやはらまえいせき 08-211-014) [ご案内マップ] |
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所在地 |
茨城県常総市大生郷町字鉄替地3545-3番地ほか/宮原前3448番地ほか |
立地 |
常総市の北西部,東仁連川左岸の標高18~20mの台地上 |
調査原因 |
一般国道468号首都圏中央連絡自動車道新設に伴う発掘調査 |
委託者 |
国土交通省関東地方整備局常総国道事務所 |
調査期間 |
2014年4月1日~10月31日/2015年2月1日~3月31日 |
調査面積 |
4,795㎡/5,651㎡ |
種類 |
集落跡,墓域 |
主な時代 |
縄文時代,古墳時代,奈良時代,平安時代,室町時代,江戸時代 |
主な遺構 |
竪穴建物跡12,掘立柱建物跡5,井戸跡2,陥し穴2,粘土貼土坑1,土坑45,溝跡1/竪穴建物跡2棟,道路跡2条,溝跡7条,井戸跡1基,土坑・ピット182基 |
主な遺物 |
縄文土器,土師器,須恵器,土師質土器,陶器,磁器,金属製品 |
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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当遺跡は平成20年度に第1次調査,今年度の4~10月に第2次調査を行い,今回が第3次調査となります。現在は,古墳時代の竪穴建物跡,江戸時代の道路跡や溝跡等の調査を行っています。古墳時代と江戸時代の遺構は,過去の調査では確認していないものであり,当遺跡においてさらに幅広い時代にわたり,人々が生活していた様子が明らかになってきました。 |
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古墳時代の竪穴建物跡の調査 |
溝跡から出土している陶器片 |
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4月から行っていた宮原前遺跡の調査が終了しました。宮原前遺跡の調査は平成21年度に1度目を行い,今回が2度目です。今回の調査では,縄文時代の建物跡3棟,奈良時代の建物跡3棟,平安時代の建物跡6棟などを確認しました。第40号竪穴建物跡は1辺約6mの規模で,出土土器から奈良時代の8世紀前葉と考えられます。カマドの手前と両袖部からは,天井部と袖部の補強に使用したと考えられる砂岩の切石が出土しました。4か月にわたる調査で,大生郷地域における,縄文時代から室町時代の断続的な生活の様子が明らかになりました。 |
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調査区全景(上が北方向) |
カマド手前や袖部から砂岩の切石が出土しています。(第40号竪穴建物跡) |
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4月から宮原前遺跡の調査を始めました。宮原前遺跡は,縄文時代と奈良時代,平安時代,室町時代の複合遺跡です。今回は,縄文時代の竪穴建物跡3棟,奈良時代の竪穴建物跡3棟,平安時代の竪穴建物跡6棟などを確認しています。第31号建物跡は1辺が5mほどの大きさで,北壁やや東寄りにカマドが設置されており,カマドの両脇からは棚状施設を確認しています。出土遺物から9世紀代と考えられ,大生郷地域における,平安時代の人々のくらしの一端が徐々に明らかになってきました。 |
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調査前の状況(東方向から) |
数多くの遺物が出土している第31号竪穴建物跡 |
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