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●阿見事務所 |
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●吉原向遺跡(よしわらむかいいせき 08443-085) [ご案内マップ] |
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所在地 |
茨城県稲敷郡阿見町大字吉原字牛頭座2850番地ほか |
立地 |
阿見町の南部,桂川右岸の標高約19mの台地上 |
調査原因 |
阿見吉原土地区画整理事業 |
委託者 |
茨城県竜ケ崎工事事務所 |
調査期間 |
2015年5月1日〜10月31日 |
調査面積 |
8,062㎡ |
種類 |
集落跡 |
主な時代 |
縄文時代,古墳時代,奈良時代,平安時代,江戸時代 |
主な遺構 |
竪穴建物跡17棟,掘立柱建物跡1棟,陥し穴1基,井戸跡2基,地下式坑1基,土坑174基,溝跡13条,炭窯跡2基,土塁2条,ピット群6か所 |
主な遺物 |
縄文土器,土師器,須恵器,陶器,磁器,土師質土器,土製品(支脚・鉄斧形土製品・紡錘車),石器・石製品(尖頭器・砥石・石臼・石製模造品),金属製品(釘・煙管),銭貨,自然遺物(貝殻) |
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*主な時代をクリックすると年表が出ます。 |
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当遺跡は,縄文時代から江戸時代までの間,断続的に集落が営まれていたことが明らかになりました。遺構は,縄文時代の竪穴建物跡1棟,古墳時代の竪穴建物跡13棟,平安時代の竪穴建物跡3棟,室町時代の地下式坑1基,江戸時代の掘立柱建物跡1棟,井戸跡2基,近代の炭窯跡2基などを確認しました。古墳時代中期の竪穴建物跡は,約半数が焼失建物で,床面から多くの遺物が出土しました。中でも第10号竪穴建物跡から出土した鉄斧形土製品は,県内では初めてのもので大変貴重なものです。また,平安時代の竪穴建物跡は9世紀代に限定された小規模な集落で,桂川を挟んだ対岸の篠崎A遺跡との関係がうかがえます。また,出土した遺物はコンテナ80箱を数え,今後,発掘調査の資料をもとに整理作業を行い,調査の成果を報告書にまとめていきます。 |
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調査区遠景(東上空から) |
調査区全景(真上から) |
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9月以降に拡張した区域で確認した3棟の竪穴建物跡は,出土遺物から古墳時代中期に位置づけられます。第18号竪穴建物跡は,覆土や床面から焼土や炭化材が出土し,柱穴の覆土にも焼土ブロックや炭化材が混入していたことから,建物の柱を抜きとり,屋根などの建築部材を焼却したと想定されます。また,第19号竪穴建物跡は,長軸約6.5m,短軸約5.0mの長方形で,特異な形状を呈しています。今後は,旧石器時代の調査や遺跡全体の空中写真撮影を行い,すべての調査を終了する予定です。 |
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焼土や炭化材が出土した第18号竪穴建物跡 |
第17号竪穴建物跡から出土した土師器椀 |
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吉原向遺跡の拡張部分の調査が始まりました。当遺跡の竪穴建物跡は掘り込みが深いのが特徴です。斜面部で確認した第17号竪穴建物跡は一辺が約5mの方形で,床面までの深さが約1.1mもありました。床面からはほぼ完形の土師器椀が出土し,その特徴から古墳時代中期に位置づけられます。その他の拡張区では,竪穴建物跡3棟を確認しており,今後調査を進めていきます。 |
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深く掘り込まれた第17号竪穴建物跡 |
第17号竪穴建物跡完掘状況 |
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圏央道の南側の台地上にあるC区とD区の調査を開始しました。いずれの調査区でも,古墳時代中期の竪穴建物跡を確認しました。D区の第10号竪穴建物跡は,一辺5.5mの方形で,竪穴の壁が約1.2mもあり,掘り込みがとても深い建物跡です。そのため,遺物の保存状態が良好で,床面から形の復元できる5世紀前半の土師器の高坏や椀など,たくさんの遺物が出土しました。なかでも床面の約10cm上から出土した土製品は,当時の鉄製の斧と非常に形が類似しており,ソケットの部分の表現など,実物を忠実に模しています。今のところ,このような鉄斧形土製品の類例は知られていません。この土製品はどのような目的で製作されたのでしょうか。今後の調査が期待されます。 |
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たくさんの土器が出土した第10号竪穴建物跡 |
鉄斧形土製品 (長さ7.5cm,最大幅3.5cm,重量51g) |
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