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つくば中根事務所

 

金田西坪B遺跡(こんだにしつぼびーいせき 08-220-110) [ご案内マップ]
112 030 059*75
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。

所在地 1区 茨城県つくば市金田字明神南1,746-1番地ほか
2区 茨城県つくば市金田字岡道1,687番地ほか
立地 つくば市の東部,花室川左岸の標高27mの台地上
調査原因 研究学園都市計画事業中根・金田台特定土地区画整理事業
委託者 独立行政法人都市再生機構 首都圏ニュータウン本部
調査期間 1区 2016年4月1日〜8月31日
2区 2016年12月1日〜2017年3月31日
調査面積 1区 8,960㎡
2区 8,717㎡
種類 集落跡,館跡
主な時代 縄文時代,弥生時代,古墳時代,奈良時代,平安時代,室町時代,江戸時代
主な遺構 1区 堅穴建物跡8棟,掘立柱建物跡10棟,土坑140基,井戸跡13基,溝跡・堀跡36条,柱穴列11列,陥し穴3基,粘土採掘坑1か所,地下式坑7基,火葬施設2基,ピット群7か所,大型円形土坑1基,方形竪穴17基,道路跡1条,整地遺構9か所
2区 竪穴建物跡6棟,掘立柱建物跡4棟,大型円形土坑1基,土坑36基,溝跡4条,道路跡1条
主な遺物 1区 縄文土器(深鉢),土師器(坏・甕),須恵器(坏・蓋・甕・甑),土師質土器(小皿・擂鉢・火鉢・内耳鍋),陶器(皿・碗・鉢・甕),磁器(皿・碗),瓦,石造物(宝篋印塔・五輪塔・礎石),石製品(砥石),木製品(椀・曲げ物)
2区 縄文土器(深鉢),弥生土器(壺),土師器(坏・甕),須恵器(坏・蓋),磁器(碗)
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の状況(2区)

調査区の中央部では,弥生時代の竪穴建物跡や縄文時代の土坑などを確認しています。弥生時代の第66号竪穴建物跡は,床面近くの覆土に炭化材や焼土が含まれており,床面の一部も焼けていることから,上屋が焼失したと推測されます。また,縄文時代中期の第182号土坑は,開口部から底部にかけて拡がっており,いわゆる袋状土坑と言われる形状です。第187号土坑からは,底面に横になった状態で縄文土器の深鉢が出土しています。南側の台地平坦部から台地縁辺部にかけては,様々な時代の遺構が重なり合っています。これまでの調査によって,当地は縄文時代から人々の生活域となっていたことが分かりました。
 
炉と主柱穴を有する第66号竪穴建物跡 上屋の焼失を物語る炭化材と焼土
(第66号竪穴建物跡)
 
袋状に掘り込まれた第182号土坑 縄文土器が横たわる第187号土坑
 

調査の状況(2区)

緩やかに傾斜している北端部に位置している大型円形土坑は,径5.4m,深さ2mほどの大きさで,断面形は漏斗状です。覆土からは平安時代の須恵器や土師器の甕片が出土していることから,平安時代には廃絶されたものと考えられます。底には浅い窪みがあり,同様の形状の土坑が,調査区北側の1区でも確認されています。前回紹介した第17号掘立柱建物跡と近接し,同じ時代の遺構の可能性があります。今後,類例を参考にして,遺構の性格を明らかにしていきたいと思います。また,南側の台地縁辺部寄りには数多くの遺構が存在し,そこに位置している第62号竪穴建物跡は,出土した土器から古墳時代後期と考えられます。この建物跡からは,上屋を支える柱穴4か所,出入口施設に関わる柱穴1か所が見つかり,当時の建物の構造を窺うことができます。
 
底面に窪みのある大型円形土坑 典型的な構造の古墳時代後期の竪穴建物跡
 

調査の状況(2区)

調査区を横断する市道を挟み,南部は台地縁辺部で,遺構が集中しているのに対して,北部は緩やかに傾斜しており,南部に比べると遺構は少ない状況です。そうした中でも,縄文時代の土坑をはじめ,竈が付設された古代の竪穴建物跡,掘立柱建物跡,調査区を横断するように延びる溝跡や道路跡などが確認できました。第153号土坑は,深さ20cmほどの円筒形で,覆土上層から縄文土器片が出土しました。土器の特徴から縄文時代中期(約4,500年前)と判断できます。当時はもっと深い土坑で,後世の土地改変などにより,土坑の上部が削平されたものと考えられます。また,調査区北端部の第17号掘立柱建物跡は,桁行4間,梁行3間の古代の側柱建物です。梁間3間というという建物は,一般の集落では比較的珍しい建物です。
 
第153号土坑と捨てられた縄文土器 単独で発見された第17号掘立柱建物跡
 

調査の成果(2区)

12月から2区の調査に着手しました。現在までに竪穴建物跡や掘立柱建物跡,土坑,溝跡などを確認しました。竪穴建物跡の時期は,縄文時代をはじめとして,主体は古墳時代から平安時代と考えられます。それらは2区の南東部に集中していることから,台地縁辺部を中心に大規模な集落跡が広がっていると予想されます。すでに調査を終了した1区では,室町時代を中心とした大規模な城館跡が確認されており,当遺跡の複雑な土地利用のあり方が窺えます。1月以降,本格的な遺構調査を始め,当遺跡の具体的な様相の解明に努めていきます。
 

調査の成果(1区)

今回の調査によって,古代の遺構は,竪穴建物跡や溝跡などを確認しました。第23号溝跡は,何らかの施設を方形に区画した可能性が考えられます。区画内部の様子は,中世の遺構などに掘り込まれているため不明です。溝跡からは瓦片が出土していることから,隣接する九重東岡廃寺との関連が考えられます。また,平安時代の竪穴建物跡の発見は,河内郡衙周辺の集落域が当遺跡の範囲まで広がっていたことを裏づけています。今回の調査の主体は,中世の大規模な遺構群です。外敵を防御するにふさわしい幅3m,深さ1〜2mの堀がめぐっていたり,鉤の手状の堀によって出入口部が設けられたりしていることなどから,城館跡の一部と考えられます。内部には,数多くの井戸や方形竪穴などが構築されており,城館の構造の一部が窺えます。当時,当遺跡の周辺は「宿屋敷」と呼ばれており,近隣の金田城との関連が考えられます。このように,古代を中心としたこれまでの当遺跡の調査成果に加え,中世の大規模な城館跡の発見は,金田台地における人々の生活の痕跡が幾重にも重なり合い,当地域の歴史を形づくっていることを物語っています。
 
中世の堀(中央)に掘り込まれた古代の竪穴建物跡 スロープ(左上)が設けられた方形竪穴
 
調査区遠景 上空から見下ろした城館跡
 

調査の状況(1区)

現在,調査区の中央部を調査中です。中世の城館跡の内部にあたる部分で井戸跡や建物跡などを掘り進めています。また,中世の遺構群の下位に存在している奈良・平安時代の竪穴建物跡や溝跡なども調査しています。調査が進むにつれて,大規模な堀跡が姿を現しました。大半の堀跡は調査区域外へ延びていますが,外敵を防御するために屈曲したり,出入口部を掘り残したりしながら,方形に区画されていると考えられます。堀跡の幅は約3m,深さは約1〜2mと大形で,容易に越えることができません。調査は終盤を迎え,今後は調査区南部に広がる低地の調査を行う予定です。
 
堀跡に囲まれた建物跡などの遺構群 埋め戻された堀跡から出土した土器群
 

調査の状況(1区)

現在,調査区北部の堀跡や方形竪穴をはじめ,地下式坑,土坑,溝跡などの様々な遺構を調査しています。それらは粘土ブロックを多く含んだ固い土で覆われ,毎日,力の要る掘り込み作業が続いています。一般的に性格不明とされる地下式坑は,これまでに4基を確認しました。中でも第4号地下式坑は深さ約2mで,覆土や壁面の観察から,天井部が崩落した様子が明瞭に観察できました。堀跡や土坑からは,土師質土器の内耳鍋や擂鉢,小皿をはじめ,陶器や石造物といった室町時代の生々しい暮らしぶりが窺える遺物がたくさん出土しています。今後は調査を南側に進めながら,堀跡などが示す複雑に重なり合った区画と各遺構の関係を把握し,姿を現した城館跡の様相の解明に努めていきます。
 
地下深くまで掘り込まれた第4号地下式坑 饗宴や儀式で使用した小皿か(第26号土坑)
 

調査の状況(1区)

当遺跡は,古代の常陸国河内郡の役所である郡衙の正倉院として知られています。4月から正倉院の西側で調査を開始しました。調査区は奈良・平安時代を中心とする金田西遺跡や九重東岡廃寺にも隣接していますが,溝跡や地下式坑などの遺構をはじめ,出土した土師質土器の小皿,常滑系の陶器などの特徴から,室町時代の遺構が主体とみられます。調査区北端で確認した第11号溝跡は大規模に掘り込まれており,鉤(かぎ)の手状であることから,城館跡に伴う区画溝と考えられます。当時の景観が復元できることを楽しみにしながら調査を進めています。
 
南北に延びる調査区と多数の遺構 鉤の手状に掘り込まれた第11号溝跡
 

金田西遺跡(こんだにしいせき 08-220-522) [ご案内マップ]
112 030 773*83

所在地 1区 茨城県つくば市金田字西原1,891番地ほか
2区 茨城県つくば市金田字明神西1,845番地ほか
立地 つくば市の東部,花室川左岸の標高26mの台地上
調査原因 研究学園都市計画事業中根・金田台特定土地区画整理事業
委託者 独立行政法人都市再生機構 首都圏ニュータウン本部
調査期間 1区 2016年8月1日〜8月31日
2区 2016年8月1日〜2017年3月31日
調査面積 1区 1,469㎡
2区 30,308㎡
種類 集落跡
主な時代 縄文時代,奈良時代,平安時代,江戸時代
主な遺構 1区 堅穴建物跡7棟,大型円形土坑1基,土坑4基,溝跡5条,粘土採掘坑1基
2区 竪穴建物跡54棟,掘立柱建物跡3棟,井戸跡1基,溝跡14条,土坑231基,ピット群1か所
主な遺物 1区 土師器(坏・甕),須恵器(坏・甕・鉢),銭貨(寛永通寳)
2区 土師器(坏・蓋・甕),須恵器(坏・蓋・鉢・壺・甕・甑),銭貨(神功開寳,寛永通寳),石製品(石鏃・打製石斧・砥石・鉈尾),土製品(紡錘車・土玉),金属製品(鏃・斧・鎌・刀子・紡錘車・釘・腰帯具),製鉄関連遺物(鉄滓)
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の成果(2区)

8月から始まった調査が終了しました。調査の結果,竪穴建物跡54棟,掘立柱建物跡2棟,井戸跡1基,溝跡14条,土坑231基などを確認しました。奈良・平安時代の竪穴建物跡は,調査区南東部から時代が新しくなるにつれて北西に拡がっていったことがわかりました。土師器や須恵器などが多く出土したほか,県内6例目となる神功開寳や当時の役人が身に着けていた腰帯具の巡方,丸鞆,鉈尾なども出土しました。また,今回の調査区は河内郡衙推定地の北側150〜200mに位置していることなどからも,河内郡衙の役人や郡衙の維持にかかわった人々が暮らしていた集落の一部と考えられます。
 
調査区全景(南西から) 調査区南東部に集中する竪穴建物跡
 

調査の状況

2区を南北に分ける埋没谷の北部は,南部に比較して竪穴建物跡などの数が減少し,奈良・平安時代に営まれた集落跡の北限と考えられます。そこに位置する第429号竪穴建物跡では,竈の燃焼部のほぼ中央から土師器や須恵器の坏5点が逆さに重なった状態で出土しました。それらの位置や状況から,支脚に転用されたものと考えられます。また,第420号竪穴建物跡では,覆土全体に細かい炭化物や炭化材が多く含まれ,他の竪穴建物跡の覆土の様子とは大きく異なっていました。床面から5〜10cm上位の覆土下層から炭化物と共に多くの土器片をはじめ,鉄斧や鎌,紡錘車などの鉄製品,当時の役人が身に着けていたと考えられる腰帯具(巡方・鉈尾)などが出土しており,建物が廃絶されて窪地化した場所にまとめて廃棄されたものと考えられます。
 
第429号竪穴建物跡の竈と支脚 多量の遺物が出土した第420号竪穴建物跡
 

調査の状況

現在,2区東部の竪穴建物跡を中心に調査を進めています。平安時代の第396号竪穴建物跡では,竈の痕跡が北壁と東壁に確認されましたが,壁溝によって北・東壁の竈は壊されていました。西壁中央部には袖部のある竈が付設されていました。そのため,西壁の竈が最後に使用され,古い竈を壊して新しい竈を作り直したと考えられます。平安時代の第402号竪穴建物跡の竈では,右袖部に須恵器甕が,左袖部に土師器甕が貼り付けられていました。これらは竈の補強材として利用されたと考えられます。また,支脚として土師器甕と坏を逆さに重ねていました。今後は2区の北東部の竪穴建物跡の調査に着手していきます。
 
古い竈の痕跡のある第396号竪穴建物跡 補強材と支脚の残る第402号竪穴建物跡の竈
 

調査の状況

2区の東部から調査を進めています。東部は古代の竪穴建物跡などが集中して確認できました。時期の異なる竪穴建物跡や溝跡,土坑などが重なり合って構築されている場合があります。このように重なり合った遺構の調査では,遺構の新古関係を覆土の観察や出土遺物などから判断して,より新しい時期の遺構から調査を進めています。第398号竪穴建物跡は,一辺が2.5mほどの小型で東壁の中央部に竈が付設されています。床はその一部が後世に壊されていますが,残存する床は粘土を混ぜた土で堅固に構築されていました。出土遺物から判断して,平安時代の建物跡と考えられます。今後も古代の竪穴建物跡を中心に調査を進め,官衙周辺で栄えた集落の様相について調べていきたいと思います。
 
竪穴建物跡の掘り込み作業 小型の第398号竪穴建物跡と出土遺物
 

調査の状況

1区では,奈良時代や平安時代の竪穴建物跡7棟,大型円形土坑1基,溝跡5条を確認しました。北側に谷や斜面部を含んだ起伏の激しい地形から,居住空間としての利用は比較的少ない状況です。斜面部で確認した大型円形土坑は,出土した土器から奈良時代に構築されたと考えられます。底面中央部にくぼみを有する特徴的な土坑で,溜め井戸や氷室などの機能が考えられます。南側に隣接する金田西坪B遺跡でも,大型円形土坑1基が確認されています。また,東西方向に延びる溝跡からは,銭貨などが出土し,江戸時代に機能していたと考えられます。調査の結果,奈良時代,平安時代,江戸時代にかけて断続的に土地利用が行われたと考えられます。
2区では,表土除去作業と遺構確認作業が終了し,遺構の調査に進んでいます。地形的には,調査範囲の東側から西側に向かって緩やかに傾斜をしており,調査範囲を南北に分断するような浅い谷の存在が分かりました。遺構の確認作業の結果,調査範囲の東側で古代の竪穴建物跡などが数多く確認できました。今後,官衙跡周辺域における人々の暮らしぶりについて,多くの情報が得られるように,調査を進めていきます。
 
北から見た1区の遠景(市道手前側) 調査を終えた1区(真上から)
   
底面にくぼみを有する大型円形土坑 古代の竪穴建物跡の確認(2区)
 

調査の状況

8月から昨年度の調査区(1区)南端部の調査と,その北西部(2区)の表土除去工事が始まりました。1区南部の調査では,昨年度に調査した集落跡と同じ奈良時代や平安時代の竪穴建物跡などを確認し,さらに集落が南に広がっていたことが分かりました。第385号竪穴建物跡では,東壁際の覆土下層から土師器や須恵器の坏・甕の破片が数多く出土し,廃絶時の様子を物語っています。さらに今年度,2区として約24,000の調査が予定されています。現在は広大な調査範囲を2台のバックフォウを使用して表土除去工事を行っています。現在表土除去を半分終えた段階で,竪穴建物跡約40棟,土坑約90基,溝跡約20条などが発見されています。
 
第385号竪穴建物跡から出土した土器 表土除去工事の進む2区
 

上境旭台貝塚(かみざかいあさひだいかいづか 08-220-093) [ご案内マップ]
112 060 468*77

所在地 茨城県つくば市栄字毘沙門439番1ほか
立地 つくば市の東部,桜川右岸の標高21〜27mの台地斜面部
調査原因 研究学園都市計画事業中根・金田台特定土地区画整理事業
委託者 独立行政法人都市再生機構 首都圏ニュータウン本部
調査期間 2017年1月1日〜3月31日
調査面積 669㎡
種類 集落跡,貝塚
主な時代 縄文時代,江戸時代
主な遺構 J区 土坑16基,溝跡1条
K区 遺物包含層,斜面貝層,溝跡
主な遺物 J区 縄文土器(深鉢・注口土器),陶器(皿・碗),鉄製品
K区 縄文土器,土製品,石器・石製品
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の状況

今年の1月から調査を進めています。今回の調査区は,台地上(J区)と斜面部(K区)の2か所です。台地上の調査は終了し,土坑16基と溝跡1条を確認しました。出土した遺物は縄文時代後期から晩期にかけてのものを含んでいますが,確認した土坑や溝跡の時期や性格は不明なものが多いです。斜面部の調査区(K区)では,多量の縄文土器や石器を含む遺物包含層と斜面を埋めつくす貝層を確認しました。貝層はヤマトシジミが主体で,北側の斜面上方から谷に向かって厚く堆積しているものと考えられます。現在は多量の縄文土器などを含む遺物包含層の掘り込み作業を進めています。貝層の調査は来年度になってから本格的に着手する予定です。
 
土坑や溝跡を確認した台地上の調査区(J区) 斜面部で確認した貝層と遺物包含層
 

柴崎大堀遺跡(しばさきおおほりいせき 08-220-493) [ご案内マップ]

所在地 茨城県つくば市柴崎字大堀890番地ほか
立地 つくば市の東部,花室川左岸の標高27mの台地上
調査原因 研究学園都市計画事業中根・金田台特定土地区画整理事業
委託者 独立行政法人都市再生機構 首都圏ニュータウン本部 茨城業務部
調査期間 2016年9月1日〜11月30日
調査面積 1,300㎡
種類 堀跡
主な時代 旧石器時代,平安時代,室町時代,江戸時代
主な遺構 堀跡1条,溝跡3条,土坑5基,石器集中地点1か所
主な遺物 石核,剥片,土師器,須恵器,土師質土器,陶器,磁器
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の成果

今回の調査によって,これまで確認された堀跡がさらに西側に続いていることが明らかになりました。堀の深さは,確認面から約2.5mの部分と,約3mの部分があり,調査区の西端部では約1mほどでした。西端部では,堀の深い部分の延長線から南へずれた位置に,0.5mほどの深さに掘り込まれた堀の深い部分の一部が確認できました。今回調査した堀跡の深い部分は,わずかに北側に曲がっていました。堀跡の他には,旧石器時代の石器集中地点1か所,平安時代の土坑1基,近世の溝跡2条,時期不明の土坑4基と溝跡1条を確認しました。
 
調査区遠景(西から) 調査区近景(東から)
 
大規模に掘り込まれた堀(西から) 深さの異なる堀底(西から)
 
並んで出土した旧石器時代の石核 平安時代の第46号土坑と逆さに置かれた土師器高台付坏
 

調査の状況

平成21・26・27年度に続き,4度目の調査を進めています。堀跡覆土の掘り込み作業が終わり,堀がどのように埋没していったのかを調べるための土層断面の記録作業を行いました。大規模な堀跡なので,安全に注意しながら発掘機器を駆使して,正確に記録するように努めています。堀跡の埋没過程を検討した結果,大きく2時期に分かれ,堀跡が約半分埋まった段階で,幅広く掘り直されていることが判明しました。写真(右)の朱枠内に粘土ブロックが堆積しています。この層の上部が掘り直された幅広の浅い堀跡と考えられます。今後は,空中写真撮影に向けて,堀跡全体の清掃作業を行う予定です。
 
発掘機器を駆使した記録作業 埋没した堀跡と掘り直しの痕跡
 

調査の状況

柴崎大堀遺跡の調査が始まりました。表土除去作業の結果,平成26年度の調査範囲から西側へ延びる堀跡が確認されました。堀跡の覆土を掘り下げたところ,過去の調査範囲で確認された堀跡よりも比較的浅く,確認面からの深さは約2.5mです。断面の形状がV字状の薬研堀です。壁面は,自然の黄白色粘土で雨が降ると雨水が溜まります。また,滑って容易に昇り降りすることはできません。今後,より詳細な調査を進めていきます。
 
これまでに調査された堀跡と調査範囲 柴崎大堀遺跡と周辺の遺跡

 
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